権現山(ごんげんやま)大黒目山(おおぐろめやま)
 
単独 2015.04.18 
上本(田部)バス停・旧本小学校北東の三叉路(8:00/08)→本小学校入口交差点(8:13)→自然歩道(8:27)→杣径(8:55)→展望岩(9:02)→権現神社(9:19)→登山道分岐(9:26)→708m峰(9:32)→大黒目山(9:52)→748m峰(10:51)→748m峰北西の峠(11:02)→大黒目山北西の峠(11:53)→作業道終点(12:17)→自然歩道・林道谷山線(12:21)→篠津原池堰堤(12:39/13:13)→県道422(13:20)→蘇羅比古神社(13:59)→起点(14:07)
 
旧本小学校北東の三叉路(上本(田部バス停))に車を駐める。本小学校入口交差点まで戻り、大黒目山南西尾根末端に取り付く。西側の墓所への道を上がらせてもらう。集落の背戸山はよく手入れされてヤブはないが、猪防護柵がめぐらされているので、これを超えるのに一苦労。少し行ったところに古い墓所があり、上段に「光明真言三百萬遍」と刻まれた供養塔があった。これより道が現れて、程なく右蘇羅比古(そらひこ)神社、左篠津原池と記された自然歩道に合流する。蘇羅比古神社方面に寄り道するが、防護柵に追い返される。自然歩道を横切って、尾根を北上する。マツの倒木や灌木が、かつての杣径を荒らしている。標高480mあたりで小さな石垣を見る。権現神社の参道だったのかもしれない。やがて西面から上がる明瞭な杣径に合流する。200m計り上がったところに展望岩があり、庄原の市街地が遠望できた。そこから300m計り先で杣径は横手に下り、ササが下生えする雑木尾根をひと上りすると、権現神社のある山頂に達した。御影石の小さな祠の裏には、平成二十一年五月吉日後迫(うしろざこ)氏子一同と記されていた。樹木に遮られて展望はなく、祠の周りにもササが茂りはじめている。北尾根に道があり、下った鞍部は十字路になっている。小用(およう)方面から権現池に乗り越し、尾根道は権現神社と大黒目山に分かれる。尾根道を上り返して大黒目山に向かう。二万五千分の一図には708m峰を権現山としてあるが、赤テープがあるだけでそれらしい表示は見当たらない。十字路鞍部から25分計りで大黒目山の山頂に達した。平坦な山頂の西側には石垣が築かれている。灌木に囲まれて展望はないが、中世物見櫓の遺構のような趣がある。一息入れて、さらに北尾根を辿る。明瞭な踏跡があり、ササもまばらで大黒目山から55分計りで748m峰に達す。大黒目山稜線歩きはここらで終わりにする。200m計り下ったところから、北西の支尾根に入り、685m峰との鞍部・峠に降りる。南西の谷に下るが、破線径は途切れ途切れ。谷の出合で、右谷に渡って大黒目山北西鞍部の峠に向かう。破線径はあるものの、ササはよく茂り、倒木もあって楽ではない。これで吸血昆虫や蜘蛛の巣の歓迎があったらたまらないだろう。大汗をかいて峠に上がると、659m峰に向かって微かな踏跡があった。辿れば、篠津原雲井城の遺構をめぐることができたのであるが、知らずに素通りする。峠を越すと赤テープや明瞭な踏跡が現れて、10分も下ると作業道に出た。途中から取水管理道に入り、南側の作業道に短縮して林道谷山線に合流。この道は、本村と高を結ぶ自然歩道になっている。南に辿って、武家屋敷跡や篠津原池をめぐり、篠津原池堰堤で昼食。のどかな湖畔の風景に癒される。満ち足りて起点に還り、蘇羅比古神社を訪れた。花桃の咲き誇る里道の先に、二本の大杉を擁す神社森があった。その奥に創建は6世紀前半とも云われる社殿がひっそり佇んでいた。境内には他ではあまり見かけぬ狛犬が二対、参道の桜並木は八重桜が満開、そして木造の大鳥居、と見どころ満載の穴場である。
アルバム

旧本小学校北東の三叉路・上本(田部)バス停(8:04)

大黒目山南西尾根末端
 本小入口交差点より(8:13)
 

小用、宮内町方面 展望岩より
(9:02)

権現神社(9:19)
 

登山道分岐(9:26)

大黒目山山頂(9:52)
 

748m峰山頂(10:51)

大黒目山北西鞍部から下る谷の廃道(11:37)
 

大黒目山北西鞍部(11:53)

自然歩道(林道谷山線)合流点(12:21)
 

要害山(篠津原雲井城跡) 篠津原池堰堤より(12:40)

蘇羅比古神社の大杉(13:56)
   



軌跡図
                                                   所要時間:5時間59分、歩行距離:13.5㎞