津和野街道(廿日市-栗栖) 
 
2020.12.14 単独 ☂/|☃ 
津田(8:10/15)→重り岩(8:44)→栗栖→R186旧津和野街道入口(9:13)→浅原分れ(9:57)→十王堂(10:18)→槙が峠(10:33)→正念寺別れ(10:56)→速田神社の大ツクバネガシ(11:12)→明石峠(11:53)→宮川甲斐守切腹岩(12:41)→砂原大橋(13:27)→専念寺前の一里塚(13:32)→廿日市本陣跡(14:09)→津和野藩御船屋敷跡(14:18)→街道松(14:24)→海老橋(14:35)→楽々園(14:43)
 
 軌跡図
歩行時間:6時間29分、歩行距離:約30㎞  
  この地図は、国土地理院の地形図を利用したものである。
アルバム
師匠に津和野街道のことを聴かれた。アプローチで断片的に歩いているものの、その時の様子は忘却の彼方で、返す言葉もない。この際、きちんとたどってみることにした。はじめは栗栖から廿日市まで。廿日市市役所前駅7時5分発の広電バス(佐伯線)に乗り、終点の津田で下車。下り線というのに、渋滞で10分余りの遅れ。小雨の中、県道30号廿日市佐伯線を西進。約2㌔先の旧道右手(東側)斜面に、奇岩「重なり岩」あり。この岩に市杵島姫命が帯をかけたと伝わり、大岩の下に帯掛明神が祀られている。温かく迎えてくださるかかし人形とその作者さんに感謝!

津田BS(広電バス佐伯線終点)(8:16)

重なり岩(8:44)
七瀬川に架かる岩倉橋を渡って、栗栖地区へ入る。左に中本造林の製材工場、行く手に煙る横山山塊を見て、まっすぐ道の路側帯を西進。浅原方面への旧道分岐に、栗栖本陣まで右(北東)0.1Kの標識あり。左(南西)の道(浅原方面旧道)に入るとすぐ、右(西)へ津和野街道が分かれる。が、これは小瀬川に突き当たって行き止まり。地形図には橋があるけど、今はその痕跡もない。戻って南西へ向かい、R186へ合流。右に取り観音原川に架かる西山橋を渡ると、左手に旧津和野街道の入口があった。北に約60m、右折して栗栖橋(県30終点)を渡り、浅原方面旧道分岐へ戻る。左(北東)の道に入って本陣跡を探すが、見つからず。県道30号線を東へたどる。

栗栖(8:58)

旧津和野街道入口(9:13)
津田の街通りに入り、佐伯支所交差点を過ぎて真幡神社の大カヤと十王堂をめぐる。かつて街道を行き交う旅人は、この大樹にパワーをいただき、十王堂で旅の安全を願ったのだろうか。

津田の大カヤ(10:15)

十王堂(10:18)
浜本工芸前BSで「長州戦争古戦場津田槇が峠」の史跡標柱を見かける。峠とはとても呼べないような平坦鞍部を県道が越えている。ここに台場を構築中の長州軍を幕府軍が急襲して戦場になったという。槙が峠から東へ約750mの鷹の巣交差点で、左の市道へ入る。河津原本谷地区に入ると、行く手に大野権現が烏帽子岩山へと連なっている。

槙が峠(10:33)

大野権現 河津原より(10:53)
ほどなく正念寺別れ、寺の大手塀かどの石柱に右枋不む志(大虫)みち、左つわのみちの文字が読み取れる。友田岩組地区の友和郵便局前交差点で県道に合流、左に取る。約430m先で速田神社の大ツクバネガシをめぐったあと、東へ東へ。やがて明石峠に着く。「従是東宮内村」と刻まれた境界標柱が立っている。友和地区の皆さんは「とおげのたお」と呼んで親しんでいる。東へ乗り越した左手に、明石峠、汐見坂峠併記の石碑が立っている。古いものではない。

正念寺別れ(10:56)

速田神社の大ツクバネガシ(11:12)

明石峠(11:54)

明石峠の村境標柱(11:53)
大型車両が行き交う路側帯(歩道はない)を下る。峠から1.5㌔も下ると、行く手に瀬戸のしまなみが開ける。この眺めが汐見坂峠の謂れなんだろうか。が、景色に見とれてポレポレ下る、というわけにはいかない。下明石のバス停から約100mのところで、右に旧道が分かれる。折敷畑山(おしきばたやま)からの支尾根を横手に回り込むと、左手に宮川甲斐守切腹岩があり、宮川甲斐守切腹址の碑が立っている。説明板には、「折敷畑の合戦で毛利軍の急襲にあい陶軍の将宮川甲斐守房長が敗死、毛利軍圧勝、この腹切岩は折敷畑合戦や宮川甲斐守の戦死後の碑石と伝えられている云々」と記されている。うーむ。

汐見坂(12:05)

宮川甲斐守切腹岩(12:41)
しずかな道はつかの間。喧騒の県道30号線に戻って、馬が原BSの手前から畑口BSの手前で旧道に入るまで、命がけのウォーキングが続く。路側帯とは名ばかりの白線の上を、大型車両(超大型の廃棄物運搬車など)の行き交う合間を走り下る。二度歩きたくないルートだ。一転、御手洗川左岸に沿う旧道は、まことに心地のよい静かなロード。砂原大橋を過ぎると、行く手に専念寺の甍が見えてくる。県道(宮内交番前交差点)を横切って旧道を東進。専念寺の前で、西国街道一里塚跡の石碑を見る。ちなみに、津和野街道は砂原大橋までで、以後西国街道(旧山陽道)になる。大野方面へは、右岸に渡って南西へ向かい、四郎峠を越える。

砂原大橋(13:26)

専念寺前の一里塚(13:32)
宮内交番前交差点からは交通量が増えるが、大型車両が通ることは稀で、概ね歩道もあり難はない。宮内電停の先の変則四叉路を北東(左)に向かい、R2(宮島街道)を右手において廿日市の街中をくねくねと五日市方面へ向かう。なじみのしずかな道。ポレポレ歩いて、廿日市本陣跡、廿日市天満宮、稲生(いなり)大明神、津和野藩御船屋敷跡、街道松などをめぐる。

廿日市本陣跡(中央市民センター)(14:09)

石州津和野藩御船屋敷跡(14:18)

街道松(桜尾本町)(14:24)

西国街道(楽々園)(14:36)
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