石見銀山街道(三次-甲山) |
単独 2017.10.08 ☁/☀ |
JR三次駅(7:30/40)→上原交差点(7:55)→水明園(8:09)→八次井堰(8:24)→国兼川出合(8:38)→美波羅橋(8:56)→塩町駅(9:03)→八幡橋(9:21)→浅浦橋(9:40)→十王堂(9:46)→三良坂駅(9:57/10:01)→出雲大社(10:14)→町境の峠(10:21)→敷地大橋(10:31)→昭和橋(10:54)→吉舎駅(11:09:13)→毘沙門橋(11:20)→巴橋(11:25)→上下分れ(11:33)→中山一里塚(12:15)→新塚松池(12:18)→鍋割峠(12:24)→宇賀の里(12:32)→馬追いの池跡(13:15)→荒井峠(13:24)→紫峠(13:59)→赤屋八幡神社(14:56)→新山一里塚(15:20)→中国バス甲山営業所(15:38/50)⇒JR三原駅(16:45/17:15) |
軌跡図 |
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所要時間:7時間58分、歩行距離:42.6㎞ | |||
この地図は、国土地理院発行の地形図を使用したものである。 |
銀の道「三次-甲山」ウォーキング。芸備線広島5時43分発の始発列車(1802Dキハ120)で三次へ。三次駅前を7時43分にスタート。駅前の通りを北に向かい、上新町(かみしんまち)交差点で右折東進。R183北側の里道をたどり、新鳥居橋の先でR184に合流。途中、老人福祉施設水明園横の道端で、石の鳥居に出会う。あたりに神社はなく、なんとも不思議な眺め。馬洗川対岸の熊野神社一ノ鳥居という。かつては、鳥居ヶ瀬の渡しへと、参道が南北に続いていたのだろうか。八次(やつぎ)井堰の上流は、滔々とした大河の景色になる。とりわけ国兼川出合あたりは、一幅の絵のような眺め。 | ||
JR三次駅(7:43) |
水明園と熊野神社の鳥居(8:10) |
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八次井堰(8:24) |
国兼川出合の馬洗川(8:34) |
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神和橋南詰の先で右側の里道に入り、美波羅橋を渡る。塩町駅をめぐって、ふたたびR184へ出る。塩町駅は、福塩線の終着駅と言っても、実際は三次駅まで乗り入れており、小ぎれいな無人駅。鉄道ファンには、たまらない雰囲気が漂っている。尾道自動車道馬洗川橋を眼前に、岡田の街路に入る。 | ||
JR福塩線塩町駅(9:03) |
尾道自動車馬洗川橋 岡田街路入口より(9:27) |
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700mばかりで馬洗川左岸の道になり、浅浦橋を渡って右岸に移る。川幅がそんなに広くないので、大雨のおりには、道路に水が上がりそうなところもある。福塩線を横切った先の辻で、十王堂と荒神さんに出会う。お顔の表情がうかがえるのは、青石づくりの閻魔様だけ。脇を固める御影石の十王坐像で、それは叶わない。首のないのもある。幾多の被災を経てなお、大切に祀られていると見た。 | ||
鈴鹿橋西の馬洗川(9:36) |
十王堂(9:46) |
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三良坂小学校を左岸高台に見てほどなく、右手に三良坂駅、ちょっと寄り道して一休み。県北文化発信の拠点として、平成2年に誕生した1F三良坂駅、2F多目的ホールのしゃれた建物。馬洗川の対岸から眺めると、二棟続きの建物の上に知波夜比古神社が乗っかって見えるらしい。三良坂の街路を行き、三良坂交番前の三叉路を右に取る。出雲大社分院を過ぎると、R184に合流し、ひとのぼりで塩野の峠に上がる。これより吉舎町。 | ||
JR福塩線三良坂駅(10:03) |
三良坂の街路(10:04) |
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出雲大社(10:14) |
町境の峠(塩野の峠)(10:21) |
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銀の道は、180m先で左の里道に入り、塩野、一之瀬、田尻、松出地区を経て吉舎の市街に続くのであるが、うっかり通り過ぎてしまい、昭和橋で合流する有様。まぁ、高いところから広く見渡せて、それなりに良かった、と負け惜しむ。吉舎駅で一休み。ひなびた無人駅だけど、待合室は清潔で、使い込まれた椅子がピカピカ光っていた。R184を横切って、毘沙門橋を渡り、吉舎の街中に入る。左手に日彰館高校を見て、古市の商店街に入ったところに、下素麺屋の一里塚跡がある。民家玄関先の小さな土盛りで、説明板がなかったら、まず分からない。約400mで巴橋、北詰に田中写真館、南詰左手に福六酒造酒蔵、橋の上流に南天山城跡を見る。 | ||
JR福塩線吉舎駅(11:09) |
日彰館高等学校 毘沙門橋より(11:20) |
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巴橋と福六酒造の酒蔵(11:25) |
南天山城跡 巴橋より(11:25) |
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七日市の商店街に入って約350m、石井商店の角を左に取り、R184上下分れ交差点を直進。吉舎の街を後にして、県道27号吉舎油木線を東にたどる。3.4㌔ばかり上っていくと、左手に中山一里塚への標識がある。目の前には、尾道自動車道の法面が立ち上がり、裾にも夏草が生繁って、場所が特定できない。右側の一本立木の盛り上がりが、それかもしれない。県道に戻ってすぐの右手で、ため池に出会う。池畔に立つ石碑から、「塚松池新設之碑、竣工 昭和十六年」の文字を読み取る。塚松池の入口から5分で、吉舎と甲奴の境をなす、鍋割峠に上がる。呼名の由来は、むかし行商人が、道に突き出た岩で鍋を割るほどの難所だったことによるという。 | ||
吉舎七日市の街路(11:30) |
中山一里塚(12:15) |
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塚松池(12:18) |
鍋割峠(12:24) |
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ひとくだりで、宇賀の里(元宇賀小学校)前の辻に出る。右の県道427号宇賀矢野線を行くと、広石東の里道分岐に銀山街道の案内標識がある。入ってすぐの分岐にも、それは立ち、左の道を選ばせる。60mばかり行った右手法面に、「銀山街道 広石 馬追いの池跡」と記された石碑と、地蔵尊石仏が立っている。左手の一段低い田圃が、かつては池で、馬の休息場にされていたのだろうか、など思いながら遅い昼食をとる。 | ||
宇賀の里(宇賀小学校跡)(12:32) |
馬追いの池跡(13:16) |
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谷沿いの道を上ること約600m、「銀山街道・荒井峠」と記された標識が、左の林道を指していた。これを下っていくと、砂防堰堤の傍らに荒井田川砂防の表示あり。10分足らずで頼藤(よりとう)の集落に降りた。道は、県道51号甲山甲奴上市線に合流し、2㌔ばかりたどると、見覚えのある陰陽分水嶺、紫峠に上がった。「銀の道」の古道は、県道を縫うように沿っているが、これはアイコンタクト。紫峠を乗り越したところに、「旧石州街道 紫峠 一里塚」と記された石柱あり。県道51号を道なりに南下。奥段原集会所前で男鹿山を顧みる。 | ||
荒井峠(12:23) |
荒井田川右岸の銀山街道(13:28) |
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紫峠(13:59) |
男鹿山 奥段原集会所前の県道より(14:13) |
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高山の東裾を越えて下っていくと、赤屋八幡神社に出会う。シラカシ、スギ、ナラガシワ、アカシデなどが混生する社叢は、県の天然記念物に指定されている。 | ||
高山 別迫の県道より(14:36) |
赤屋八幡神社(14:56) |
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赤屋の辻で、県道を捨て、右の里道に入る。行く手に新山が立ち上がり、東裾へと道が上がっている。もはや15時過ぎ、予定のバスは15時40分。疲れた体に鞭打って、わき目振らずのウォーキング。新山一里塚の石柱を横目に、峠を駆け下る。西上原まで降りて、ようやく人心地つき、古城山を仰ぎ見る。あと20分、終点までサッサカ歩きをして、どうにか予定のバスに間に合う。いゃー、長かったー。この際、甲山宿の歴史散歩は、次回までとっておくことにした。 | ||
新山 赤屋の県道より(15:00) |
新山一里塚(15:20) |
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古城山 西上原上の里道より(15:29) |
中国バス甲山営業所(15:38) |
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