石見銀山街道(大森-粕淵(かすぶち))
 
単独 2017.09.19 
石見銀山公園Ⓟ(7:17/32)→銀山街道取付(7:47)→福原農道合流(8:00)→荻原大橋(8:27)→荻原橋(8:40)→箱茂のお松(9:00)→小松地橋(9:12)→やなしお道取付(9:20/29)→十王堂跡(9:41)→七本槇(10:06)→大名石(10:33)→湯抱別れ(10:40)→再進坂峠(10:48)→やなしお坂登り口(11:11)→小原河原(11:22)→新宝来橋(11:27)→粕淵駅(11:38/48)→湯抱トンネル東出口(12:33)→杉ヶ市トンネル東出口(12:43)→別府トンネル東出口(12:56)→大邑農道入口(13:19)→小松地橋(13:37)→福原農道入口(14:44)→起点(15:03/30)

軌跡図
                                                所要時間:7時間31分、歩行距離:約36㎞
 この地図は、国土地理院発行の地形図を使用したものである。

アルバム
杉原耕治先生の「銀の道ものがたり」を読んで、温泉津(ゆのつ)から尾道まで「銀の道」を歩いてみようと思った。平成15年10月に鞆ヶ浦道(http://www.anoyama-konoyama.net/151017.html)と温泉津沖泊道(http://www.anoyama-konoyama.net/151031.html)を歩いているが、そのあと途絶えて久しい。大森から尾道まではぜひ通しで、と考えてみたものの、都合により実行に移せないでいた。この際、細切れのピストンでもよいから、繋いでいくことにする。まずは大森から粕淵まで。銀山公園の駐車場に車を駐めて、三石谷(さんごくだに)川に沿う里道(旧R9)を上っていく。10分ばかりで県道31号仁摩邑南線に合流。右に取って350mばかりのところに「梅と瓦の広場」と呼ばれる園地がある。その南側で、左に銀の道が分かれている。きれいな舗装路はすぐに草生してきて、ササまで茂りだす。大したことはないが、ウォーキングスタイルの足元には、ちょっといやらしい。ほどなく民家の前に出て、福原農道に合流。

石見銀山公園Ⓟ(7:32)

銀山街道取付(梅と瓦の広場南側)(7:42)

ササの茂る銀山街道(7:55)

福原農道合流地点(8:00)
交通量の少ない快適な広域農道を左に取って10分、なだらかな高原尾根に達す。顧みれば、仙ノ山や大江高山火山群が一望される。行く手の草原農地の先に、三瓶の連なりがあるはずだが、あいにく雲に閉ざされていた。

大江高山火山群 福原農道(標高約210m)より(8:10)

仙ノ山 福原農道(標高約210m)より((8:10)
1.2㌔ばかり先で、右に梅雨左衛門(つゆざえもん)への径が分かれている。草生してうるさそうなので、入るのはやめにする。少し下ると、ササの茂った径が左に分かれていた。どうやら銀山街道の古道は、農道を縫って荻原(おぎはら)大橋西詰へ合流しているようだ。そして忍原(おしばら)川を渡ったあと、右岸の荻原集落をめぐって農道に戻っている。この際、割愛して農道をたどる。なお、梅雨左衛門というのは、石東地方に古くから伝わる民間信仰で、腰から下の病に霊験があり、今でも参拝者が絶えないらしい。荻原橋を渡り、ほうそ川の谷に沿って上り返していくと、道の両側に大田原農場(敷地面積150ha、成乳牛700頭、従業員25名)の広い牧草地が開ける。顧みれば、ここからも大江高山火山群や仙ノ山が一望される。

萩原大橋西詰(8:27)

大江高山火山群 大田原農場入口西より(8:54)
牧草地が終わった先が丘陵地の峠で、左手高台に箱茂(はこも)のお松が立っている。その昔、七間の枝を張る大松が立ち、街道を行き交う旅人に親しまれていたという。今は、三代目の幼松がひっそり灌木に囲まれており、二代目松が旧道傍らの建屋の中で、窮屈そうに枯幹をさらしている。この峠は大田市と美郷町の境で、これより町道になって下り、県道186号美郷大森線と交わる。銀山街道は、県道を左に少し行ったところから畦道に入り、米とぎ橋という土橋を渡って、馬場の前に出るらしい。この際、畦道を歩くのは止めにし、小松地橋(こまつじばし)を渡って大邑(だいおお)農道に出る。今やこの農道が幹線のようで、狭い県道に車の姿はない。馬場の前で県道291号別府川本線を右に取るとすぐ、左手民家の前から「やなしお道」がはじまる。民家の門をそーっと通らせてもらい、取り付く。いきなり草生してぬかるんだ径になり、いささか腰が引けるが、ひと上りで快適な遊歩道となる。

箱茂のお松(9:03)

小松地橋 大邑農道より(9:14)

やなしお道入口(9:29)

刈り払われたばかりのやなしお道(9:36)
「やなしお道」の謂れは諸説あるが、塩水を加えながら真砂土と粘土を交互に突き固める「版築工法」により整備されており、昔の面影を最も残しているとして、大切に保存整備されている。刈り払われたばかりの穏やかな道を登ること約500m、平坦な稜線に上がる。すぐ大田方面からの街道と銀山街道が合流する丁字路になる。かつては十王堂や茶店が建つ賑わいの場だったという。今は、ひっそりしたスギ林に孟宗竹が蔓延るばかり。間なしに茶縁原(ちゃえんばら)と呼ばれる東面が開けたところに出るが、彼方に三瓶の連なりを眺めることは叶わなかった。そこより5分ばかりで、丸太階段を下った鞍部に降りる。2001年、この下に邑智北農道を開設するために行われた調査で、やなしお道整備に版築工法が用いられていたことが分かったという。アップダウンを繰り返しながら650m、痩せ尾根道になり、「土橋」の札が立てられている。版築工法で突き固められた人工の尾根と言うことか。南面が開け、寺谷高原牧場が見渡せる。ほどなく未舗装の車道へ合流して、東にたどると、携帯中継局の建つ七本槇(しちほんまき)と呼ばれる272.8mピークに至る。車道は東の谷に下り、銀の道は南東尾根に続く。立派なトイレが整備され、説明板に大江高山火山群などが見えるとあるが、樹木に遮られてそれはない。このあたりには、銀山供出用の薪炭林として闊葉樹の森が広がっていた、と説明板にある。七本槇の呼名は、この地にみごとなコナラが七本立っていたとでもいうのだろうか。この先、スギ、ヒノキ、マツ、雑木が混交する木立の中に快適な「歴史の道」が続く。途中、水溜場跡、茶屋敷跡、一里塚跡、ポウポウ坂、大名石などの史跡札に出会い、往時に思いをめぐらすのは楽しい。やがて湯抱別れ、左の尾根(北尾根)に湯抱へ下る径が分かれている。500mばかり先で、「再進坂峠」という札に出会う。「さいしんざかだお」とでも読むのだろうか。呼名の謂れを知りたいものだ。さらに500mばかりのところに、北東面が切り払われた三瓶山の展望所がある。あいにく男三瓶は雲の中だが、その姿は抜きんでている。

十王堂&茶屋跡(9:42)

七本槙に整備されたトイレ(10:08)

再進坂峠(10:48)

三瓶山 展望所より(10:55)
いよいよ、やなしお坂の核心がはじまる。石組み、荷置石、中の休と、史跡をめぐりながら急坂を下っていく。いきなり樹林が途切れて、小原の町なみが足下に広がった。粕淵を視野に入れてちょっこし蘇り、刈り払われたばかりのジッグザッグ径を下る。小松地のやなしお道取付からやなしお坂登り口まで約6.6kmの道のりに、1時間40分を要す。町道志君(しぎみ)線に出て観音橋を渡り、尻無川右岸の道をたどる。途中、小原河原(おばらがわら)の説明板を読んで、1,000人近い人々と多くの牛馬が集まったという竹藪下の河原に思いを馳せる。県道40号川本波多線を左に取り、新宝来橋を渡る。美郷町役場前から粕淵のメインストリートを南下、粕淵駅に至る。折よく、来年4月から見られなくなるという三江線列車に出会う。今回の銀山街道ウォークはここまでとし、北側の街路(こちらがほんとの銀の道)を周回して役場前のR375に戻る。邑智小学校は運動会の真っ盛りで、元気のよい声が静かな街中に響き渡っていた。

粕淵の町なみ やなしお坂より(11:07)

やなしお坂登り口(11:11)

美郷町役場(11:30)

粕淵駅&美郷町商工会館(11:38)

粕淵駅に停車中のキハ120-315(11:44)

やなしお坂の尾根 R375より(小原河原の上)(12:02) 
R375をたどって別府方面に向かう。湯抱から旧道に入れば鴨山記念館があるが、水曜日と日祝日以外は休館とのこと。これで、まっすぐな楽ちん新道を歩かない手はない。湯抱トンネル、殿畑大橋、杉ヶ市トンネル、別府トンネルと、ハイウェイをたどる。やがて別府に至り、左から邑智北農道、右へ大邑農道が交差する。突き切って5分、左に分かれる大邑農道に入る。小松地の馬場の前より先は往路をたどるが、最後のササの茂った古道はやめにする。起点に帰り着いてみれば、もはや15時過ぎ、40㌔にも満たない距離にずいぶん時間を要したものだ。これで、今年も「しまなみ」が歩けるのかしらん。

鴨山記念館 R375(湯抱トンネルの東)より(12:30)

湯抱トンネル東出口(12:33)

別府トンネル西出口(13:03)

大邑農道三瓶山方面入口(13:19)

大邑農道枦谷
(かたらがい)方面入口(13:27)

福原農道入口(14:44)