萩往還(はぎおうかん)
 
単独 2015.04.27-28
4/27 
新山口駅(10:06)⇒萩バスセンター(11:16)→唐樋札場跡(11:22)→中央公園(11:33)→萩博物館(12:13/13:30)→北の総門(13:56)→木戸孝允旧宅(14:10/19)→萩駅(14:50/15:08)⇒東萩駅(15:13)→松陰神社(15:45)→東光寺(16:24)→萩Royal Inteligent Hotel(16:55) 
4/28 
萩Royal Inteligent Hotel(4:36→椿大橋(4:59)→見返り橋(5:28)→道の駅「萩往還」(5:46)→悴坂駕籠建場跡(5:56)→明木橋(6:30)→五文蔵峠(7:25)→釿ノ切峠(7:52)→千持峠(8:25)→佐々並市御客屋跡(8:45)→首切れ地蔵(9:32)→国境の碑(10:26)→板堂峠(10:31)→一の坂御建場跡(10:57)→天花坂口(11:08)→一の坂ダム堰堤(11:24)→瑠璃光寺(11:44/55)→鰐石橋(12:36)→昼食(12:44/13:04)→氷上橋(13:28)→柊神社(13:59)→吉岡一味斉遭難碑(14:29)→郡境の碑(15:21)→剱神社(15:57)→舟橋(16:11)→まちの駅「うめテラス」(16:41)→三田尻御茶屋英雲荘(17:13/30)→防府駅(17:34)
アルバム

萩バスセンター(4/27 11:19)

高札場(唐樋札場跡)・萩往還起点(11:23)

明倫小学校(藩校明倫館跡)(11:33) 

萩図書館(中央公園)(11:43)
萩往還を辿ってみる。マラニック70㌔への参加は、今の私には無理だ。萩から三田尻まで53㌔、ウォーキングなら1日で十分やれそうな気がする。ということで、新山口駅前から萩バスセンターまで防長交通特急はぎ号で70分、前日に萩入りする。もったいないような好晴、さっそく市街地の史跡を巡る。まずは萩往還の起点、高札場跡だ。バスセンター北側の通り向かいにあり、園地の中に高札場が復原されている。大きな建物で、その前に発掘調査時の模様などが掲示されている。バスセンターとの間の通りを西に向かう。唐樋町側に今は一部が明倫小学校になっている旧藩校明倫館跡があり、その隣が中央公園。こちらも広大な敷地の東に図書館を置いて、広大な芝生広場や駐車場を配す、まことにゆったりした公園だ。ちなみに、駐車料金は時間無制限1回310円とのこと。山形有朋や久坂玄瑞などの銅像が立っている。
   

高杉晋作誕生地(左手前の屋敷)(11:59)

萩博物館(12:14) 

指月山 萩城趾入口より(13:42)

堀内地区の武家屋敷石垣(13:45) 

田床山 橋本橋より(14:44)

黄檗宗東光寺の三門(16:24)
新堀川を渡って小さな通りを西に向かう。高杉晋作の銅像が立つ公園の角を右に曲がると、武家屋敷風民家の前に誕生地の石柱碑が立っていた。かつてこの一画に高杉家の広い屋敷があったという。次いで菊屋家住宅、旧久保田家住宅を廻って、萩博物館に入館。昼食の後、1時間かけて観覧。学芸員の方が懇切に説明してくださり、松陰と文の特設展示もあり、ゆったり時を過ごす。次いで藩校明倫館の流れを汲む萩高校を廻り、萩城趾入口から指月山を眺める。北総門通りを東に向かう。両側が石垣塀の通りで、途中に旧周布家長屋門などがあり、とても風情がある。北の総門を廻り、木戸孝允旧宅を観覧の後、高札場に戻る。萩往還を萩駅まで辿り、JRで東萩駅まで行く。きれいな1両ワンマンディーゼルで、萩の町並みや田床山の連なりを眺めながらカタコト走る。阿武川の畔を歩いて松陰神社を訪ね、周辺の史跡を巡る。見どころは黄檗宗東光寺で、三門や大雄宝殿などの建築物もさることながら、毛利氏廟所は森厳静寂な大霊域である。以上、13.5㎞の萩のまち歩きを楽しんで宿に入る。
   

悴坂駕籠建場跡(4/28 5:57)

鹿背坂隧道(5:59)

明木橋(6:29)

五文蔵峠・一升谷十合目(7:30)

釿ノ切峠(R262)(7:52)

千持峠(8:25)
明けて4月28日、まだ暗い4時半過ぎに東萩駅前のホテルを出る。萩橋を渡ってR191、R262、県道32号萩秋芳線を南に辿る。JR横断陸橋を渡る頃に白み始める。萩駅前を左に折れた萩往還ルートは、国道を横切り東側の里道を笠谷集落の外れでまで行き、県道32号に合流している。この際、県道に短縮して、涙松遺址や梅林園は割愛。女体解剖地跡に立ち寄り、道の駅「萩往還」の南から鹿背坂へ。よく整備された遊歩道を上りきったところに、悴坂(かせがさか)駕籠建場が復元されている。峠を下るとすぐ鹿背坂隧道、次いで石畳の道、烏帽子岩と続き、程なく明木(あきらぎ)川左岸に出る。土手道をしばらく行き、明木橋を渡って明木市に入る。明治二十四年(1891)に大火があり、かつて栄えた明木宿の面影はない。一升谷の林道を上って五文蔵峠を越え、釿切(ちょうのぎり)に出る。説明板には一升谷の長い急坂の様子が書かれているが、よく整備された道で左程のことはない。釿切峠の手前でR262に上がる。根引のバス停で再び左の里道に入り、落合から千持峠を越えて佐々並の久年(くどし)に出る。この区間は、芝や石畳が配されるなど、まことに美しい田園の道である。そして最後に、スギ・ヒノキのトンネルを抜け出て、佐々並の町を見下ろす時の解放感はたまらない。
   

佐々並市の御客屋跡(8:45)

貴布禰神社(8:50)

日南瀬の首切れ地蔵(9:32)

日南瀬の石風呂(9:34)

板堂峠(10:32)

キンチヂミの清水(10:41) 
佐々並川を渡って佐々並市に入る。明木市と違ってこちらには、宿駅の面影があちこちに残っている。目代所跡、御客屋跡、御茶屋跡、一里塚、そして森厳な貴布禰神社など、狭いエリアに史跡が目白押しとなっている。宮ノ峠でR262と合流する。中作バス停前でR626を捨てて、日南瀬(ひなたせ)の首切れ地蔵と石風呂を巡る里道に入る。首切れ地蔵は田園を前にしたのどかな休憩所の裏手に祀られていた。休憩所の右隣に石風呂が再現されている。いわゆるサウナ風呂で、当時の石風呂が日南瀬バス停の山中に今も残っているという。県道62号山口旭線に出て、周防長門の国境に向かう。交通量の少ない二車線の道を行けば、行く手に広がる田園風景が、見とれるほどに美しい。夏木原園地の400m先で山道に入り、国境の碑を廻る。県道に出て向かいの石段道を上がり、板堂峠を越える。砂利の敷き詰められた急坂を下ると、再び県道に出る。横切って、鼓ヶ岳西面の山襞に沿って切られた自然歩道を辿れば、キンチヂミの清水を皮切りに史跡が次々現れる。
 

一の坂御建場跡(六軒茶屋跡)(10:56)

天花坂口(11:08)

瑠璃光寺五重塔(11:45)

郡境の碑・鯖山峠(15:21) 

剱神社(15:57) 

本橋南詰 山は左から西目山、佐波山、右田ヶ岳(16:15)
やがて、一の坂御建場跡に出る。道の両側が段状の敷地で、建物が一部復原されて休憩所になっている。すぐ下で県道を横切り、四十二曲がりと呼ばれるガレ径を下って天花坂(てんげざか)口に出る。この折り、遠足中の高校生一団と行き交う。清々しい若者の挨拶に元気をいただく。県道に合流して南下すること30分余り、ようやく瑠璃光寺に到着。小休止にソフトクリーム食べて蘇り、山口市街地を抜ける。要所に標柱はあるが、街中のルート探しは容易ではない。県道21号山口防府線に出て、大内御堀(おおうちみほり)の「長崎ちゃんめん」で昼食。そのすぐ先で県道を捨てて、左の里道に入る。R262と中国自動車道の下を潜って南下し、街道端でR262に上がる。400m計り行き、右の旧道に入ると、程なく郡境の碑が立つ鯖山峠に至る。佐波山隧道南出口の先でR262に合流し、勝坂砲台跡から右の里道に入る。剱神社、舟橋を廻って、佐波川に架かる本橋を渡る。慣れ親しんだ周防の山々が美しい。
 

防府天満宮一の鳥居(16:44) 

三田尻御茶屋英雲荘(17:15)
防府市街地のルートは、山口市街に比べシンプルで、容易である。とりわけ防府天満宮一の鳥居からは、南にまっすぐ、込み入った三田尻の町中にも懇切な標識がある。萩往還終点の御茶屋に着いたのは17時13分、所要時間12時間37分だ。司馬遼太郎の「世に棲む日々」によると、吉田松陰は13時間で歩いているから、まあまあというところ。それにしても、スリーデイマーチなどと違い、ひとりマイペースで歩くことの楽なこと。余裕をもって萩往還を歩き終え、防府駅に向向かった。



軌跡図 
4/27 所要時間:5時間39分、歩行距離:13.5㎞  4/28 所要時間:12時間58分歩行距離:58.5㎞