多飯ヶ辻山(おおいがつじやま)
 
単独 2015.04.25 
粟田北区自治会館の西(8:00/07)→西谷バス停(8:24)→東城ポートリー(8:46)→野田大山南尾根取付(8:59)→石積み(9:15)→野田大山(8:37)→乗越(10:09)→登山道(10:31)→天王社(10:41)→多飯ヶ辻山(10:51/11:02)→大仙社(11:05)→946m峰(11:33)→乗越(11:46)→902m峰(12:02)→842m峰(12:48)→林道千鳥井河内線(13:00)→井河内側林道入口(14:12)→大井神社(14:23)→起点(14:33) 
 
北区自治会館前(東城町粟田)で県道12号足立東城線を捨て、左の里道に250m計り入った待避所に車を駐める。なお、自治会館前の駐車スペースが空いていれば、こちらを起点にするのもよい。井河内(いごうち)川沿いに里道を上がる。西谷集落から眺める多飯ヶ辻山はたおやかで、左になだらかな裾を引いている。多飯ヶ辻山の呼名は、ご飯をお椀に盛った山の形からきているらしいが、ここからその様子はうかがえない。道は集落の外れで林道井河内線となり、野田に乗り越している。その平坦鞍部に東城ポートリー竹森農場がある。ものものしい鳥インフル警戒の立入禁止看板を横目に、そーっと、急いで通り抜けた。野田集落の東端(荒神さんの向かい)で、野田大山の南尾根に取り付く。尾根に上がると踏跡が現れ、15分計り上がったところに一間四方ぐらいの石積みがあった。かつてここに祠かお堂があったに違いない。野田大山は雑木に覆われた平坦な山頂で、北尾根には壊れた有刺鉄線フェンスがあった。フェンスは多飯ヶ辻山との鞍部近くまで続いており、かつてこのあたりは牧場だったのかもしれない。踏跡は、鞍部で乗越径となって左右に分かれ、多飯ヶ辻山への尾根にはササが茂っている。10分計り上がった急斜面に大岩があった。もしかして、これが半銅岩?うーむ。腰下のササで大したことはなく、20分余りで井河内からの登山道に合流した。下生えのない広い道を10分計り上がると、小さな祠が建っていた。天王社とあるから、祭神は牛頭天王・素戔嗚尊なのだろうか。さらに5分で頂稜の南面に至る。闊葉樹が広く切り倒されており、道のヘリの平らな岩に上がって竹森集落を俯瞰する。頂稜は石塁のような岩稜で、山頂にも下生えはないが、樹木が邪魔をして見通しは悪い。北側の木の階段を下って大仙神社にお参りする。祭神は、放牧牛の安全を願って伯耆大山からを勧請したという、牛の神大山さんだ。社は古びて今にも倒れそう。拝殿の右手から、スギヒノキ林の中を塩原方面へ道が下っている。この際、北尾根を下る。踏跡が有るような無いような状態で、灌木が茂る石塁に沿う。標高920mあたりでヒノキ林になり、立派な作業道が現れて964m峰に上り返している。964m峰頂稜からは、西面を横手に下る作業道を捨て、北主尾根をたどる。尾根の東面は、842m峰の先まで皆伐されて開けている。乳下のササや灌木が厄介だが、見晴らしは良い。とりわけ、946m峰から902m峰にかけては東西が開け、稜線漫歩が愉しめる。ヒノキが育つ10年後にこの景色はどうなっているだろう、などと思いながら三国山から虫原山にかけての県境稜線を眺めやる。902m峰を260m計り下ったところに小さな岩塊があり、ヤブガ途切れたので頃もよし、昼食にする。形のよい姑蘇山が間近に見える。山頂にテレビ送信所が建っているが、江戸時代は修験道の山だったという。人心地ついて、再びヤブ尾根を30分、やっと林道に降りた。林道は、多飯ヶ辻山の東面を山襞に沿って南下している。荒れて土砂崩れも数か所あるが、歩く分には問題ない。二万五千分の一図の作業道終点から先にも道は続いて、300mも下ると立派な林道になる。一ヶ所、倒木で難儀したが、総じて道中ここちよく井河内に戻る。大井神社にお参りして起点に還った。
アルバム

粟田北区自治会館の西(井河内川左岸)(8:07)

多飯ヶ辻山 井河内西谷より(8:22)
 

野田大山南尾根末端
(9:00)

石積み 野田大山南尾根標高655mあたり(9:15)
 

野田大山山頂(9:37)

天王社(10:41)
 

多飯ヶ辻山山頂(10:52)

大仙社(11:05)
 

902m峰 946m峰北面より(11:37)

林道井河内千鳥線(13:00)
 

林道井河内千鳥線の照り口(14:12)

大井神社
(14:24)
   



軌跡図
                                                   所要時間:6時間26分、歩行距離:15.6㎞