広見山・半四郎山・向半四郎山 |
単独 2014.02.23 ☀ |
下道川上集会所(7:45/53)→倉渡瀬橋(8:00)→ゲート(8:41)→亀井谷橋(8:47)→奥亀井谷橋(9::07)→1035m峰(10:24)→1140m峰(11:00)→広見山東峰(11:14)→広見山(11:21)→半四郎山(12:10/35)→向半四郎山(12:49)→半四郎山(13:03)→842m峰(14:04)→匹見川渡渉(15:11/27)→表匹見峡トンネル北東出口(15:50)→下道川下の道川城跡分岐(16:24)→起点(16:44) |
亀井谷の入口を大勘違いし、約30分もタイムロス。ようやく下道川に至り、上集会所に車を駐める。倉渡瀬橋(くらわたせばし)を渡ってすぐ、亀井谷左岸尾根に取り付くつもりであったが、雪が少ないので断念。亀井谷林道を辿ることにする。のっけから雪道となり、スノーシューを履く。谷あいの雪はよくクラストしてとても歩き易い。少しでも楽をしようと、奥亀井谷橋の手前まで行って枝尾根に取り付く。日差しを受けた急斜面の登りはスノーシュー(MSR Ascent)でもなかなかに手ごわく、木登りを交え、大汗をかいて稜線に上がる。ワカンだともっともっと汗をかいていたことだろう。一転、闊葉樹林の雪の稜線は別天地。樹間越しに岩倉山(いわくらやま)や中ノ川山(なかのごうやま)などを眺めながら、1140m峰に達す。このピラミダルなピークは、四周が見渡せる素敵な雪の展望台になっていた。南に広見山の北面が立ち上がり、南西から南東にかけて冬の西中国山地が一望される。とりわけて、容のよい春日山と混交林がパッチワークのように見える岩倉山が印象的だ。南の鞍部を上り返して広見山の東峰に立つと、そこも南面が開けた雪の原。目の前に白いドームの山頂があり、その先に向半四郎山と半四郎山の白い北面が並んでいる。この山塊の最高点から周りの景色を眺めていると、時が経つのを忘れてしまう。西中国山地の名主、恐羅漢山と旧羅漢山が南に尾を引いて五里山に連なり、西に流れてこの山塊と繋がっている、等などである。南尾根を下って半四郎山に向かう。200m計り先の肩から南西に転じて七人小屋のクビレに降りるのであるが、つい行き過ぎてしまい、枝尾根の谷を三度も横切って主尾根に戻る有様。立ち木が邪魔をして見通せないバカ尾根の下りは、地形図と磁石を信じることだ。それでも、広見山から半四郎山まで45分計りで達す。顧みれば、広見山がどっしり座っている。広見川の谷を脚下に旧羅漢山の西面を眺めながら昼食をとる。半四郎山から向半四郎山の尾根筋は、ほぼ南西に一直線で分かりやすい。向半四郎山も白いドームの山頂で、西に匹見の山なみ、東から南西に県境の山なみを一望できる。広見山、半四郎山、向半四郎山はいずれもササ原の山頂で、雪に覆われれば遮るものはない。四周に広がる景色は何処も美しく、甲乙を付けることは難しい。素敵な眺めをくださったお天道様と、山の神に感謝して半四郎山に戻り、北西尾根を下る。間もなくアセビなどの灌木が密集する痩せ尾根が現れるが、西面を巻いて通過。後はマツや雑木の明るい疎林の尾根がしばらく続く。842m峰を過ぎるころから雪は斑になり、スノーシューを脱ぐ。やがてヒノキ林の尾根に変わり、最後は急な斜面を木登りで磧に降りる。そこは、表匹見峡でこれ以上はないと思われるほどに瀬が浅く、対岸も岩塊が道路に迫り上がっている場所だった。何というしあわせ。またしても、山の神様に助けられる。素足の渡渉に少々手間取るが、容易に道路に上がることができた。表匹見峡沿いの旧道は雪に閉ざされている。スノーシューに助けられて20分計り行くと、表匹見峡トンネル北東出口へ上がる階段があった。即、取り付いて雪のない県道に上がる。長―いトンネルを抜けると、見覚えのある下道川の下集落に出た。匹見川右岸の道路を辿り、途中でコウラ谷出合の道川城跡や、亀井谷の取付に架かる倉渡瀬橋を眺めるなどしながら、満ち足りて起点に還る。 |
下道川上集会所(7:53) |
奥亀井谷橋(9:07) |
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春日山 1140m峰より(10:56) |
広見山 広見山東峰より(11:15) |
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恐羅漢山と旧羅漢山 広見山山頂より(11:24) |
半四郎山山頂(12:33) |
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旧羅漢山 半四郎山山頂より(12:33) |
向半四郎山山頂(12:49) |
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匹見川渡渉地点(15:11) |
崎田トンネル南出口(15:49) |
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道川城跡 下道川下の国道307号線より(16:27) |
倉渡瀬橋 下道川上の国道307号線より(16:36) |
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恐羅漢山西尾根(左から岩倉山、中ノ川山、恐羅漢山、旧羅漢山) 1140m峰山頂より(10:49) |
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軌跡図 |
所要時間:8時間51分、歩行距離:18.8㎞ |