竜蔵寺(りゅうぞうじ)跡の上~荒谷山(あらたにやま)
 
単独 2010.12.04 
古谷集会所(8:00)→尼子屋敷跡(8:15)→正林寺(8:30)→竜蔵寺跡分岐(8:40)→内山(8:53)→産廃埋立地(9:23)→林道終点(9:27)→竜蔵寺跡西鞍部(9:42)→552m標高点(9:54)→林道峠(10:38)→458m標高点(10:45)→掘割(10:53)→高圧線鉄塔(11:53/12:17)→456m標高点(12:22)→597m標高点(13:15)→荒谷山(13:51)→フライトポイント(14:09)→荒谷山分岐(14:51)→古谷集会所(15:14)
アルバム

古谷集会所(8:00)

尼子屋敷跡(8:19)
竜蔵寺跡の上(552m標高点)から、荒谷山までの分水嶺歩き。よく冷え込んでいるが、雲ひとつない、好晴の山行日和だ。安佐北区白木町の古屋(こや)集会所に車を駐めて、栄堂川左岸に沿う県道68号線をたどり、土井に向かう。地方道といえども、この時間帯は、車の往来が激しい。土曜日でも、たくさんの人が働いていられるのだ。800mばかり行くと、尼子屋敷への道標があった。寄ってみると、展望の良い史跡として整備され、次のような説明がされていた。
尼子義久・倫久・秀久の三兄弟は永禄9年(1566)11月毛利元就に降伏し、長田の円明寺に幽閉されていたが、天正17年(1589)この地に移され、毛利輝元から五百七十石の扶持を受けて、12年間この地に居て、慶長5年(1600)に毛利氏に従って萩に移った。
 

産廃埋立地(9:23)

林道終点(9:27)
土井で県道68号線を捨て、右折。内山集落で勝田越えの道を捨てて、北西の谷沿いの道に入る。谷を右に左にUターンしながら林道を上っていくと、上部に建設廃材の埋立地があった。先週、すぐ下で聞こえたダンプの走行音に納得する。地肌をさらした埋立地と、その周りに吊るされたカラス除けの廃ディスクは、分水嶺のある山中におよそなじまない。林道は埋立地の上で終わっていた。
 

竜蔵寺跡西の鞍部(9:42)

林道内山大又線の峠(10:38)
林道終点に谷沿いの径はない。谷を遡り、10分で源頭部に達した。墓石の一部が散在し始めたので、左の斜面に取り付き、尾根に上がると、竜蔵寺跡分岐のある鞍部に出た。竜蔵寺跡上の552m標高点の東尾根には、快適な径が続いており、30分で林道峠に降り立つ。舗装された道で、南に下れば土井、北に乗り越せば勝田に出る。勝田側の法面天端から向かいの尾根に取り付いた。
   

高圧線鉄塔西の鞍部(11:46)

高圧線鉄塔(11:53)
林道峠から東の尾根も、明るい切り分け径が続いて、快適な尾根歩きを愉しむ。おまけに、途中から送電線管理道となり、ハイキング気分で歩いていると、高圧線鉄塔に出た。最近、建て替えられたようで、北側の展望が良い。安芸高田市の横山地区が足下に開け、彼方に備北の山なみが広がっている。旧鉄塔の台座に腰掛けて、至福の昼食。
   

597m標高点(13:15)

荒谷山山頂(13:51)
鉄塔から先も切り分けがあって、茂ったところは殆どない。456m標高点から597m標高点まで、約1時間の道程。2万5千分の1図に示された、鞍部を乗り越す破線径は消失している。東尾根を下り、林道のある鞍部を南に上り返して、荒谷山の西の肩に出た。こちらにも林道が上がっている。稜線を少し行くと、林の中に荒谷山の名札がかかっていた。東の斜面を下って、林道に降りた。
   

フライトポイント(14:09)

甲田・荒谷山林道入口(14:51)
林道を少し下ると、フライトポイントがあった。中高年の熱中人が二人、青空の下で、黙々とラジコングライダーを操っていた。休憩所の傍らにパラグライダーが置かれ、一人の中年男性が、その様子を眺めていられる。ここは、広島市ハングライディング連盟が管理する、フライトポイントとのこと。林道の途中から464m標高点のある尾根を下って、少し短縮し、約45分で県道68号線に出た。古屋集会所までの県道沿線には、正雲寺、魚切の滝、出崎山神社と、志屋史跡があるが、素通りした。いつか訪れてみたいものである。



軌跡図 
                                                   所要時間:7時間14分、歩行距離:19.7㎞