上根峠(かみねとうげ)竜蔵寺(りゅうぞうじ)跡の上
 
単独 2010.11.27 
土井集会所(7:35)→R54の分水嶺標識(7:46)→龍山神社(7:55)→515m標高点(8:31)→林道(8:42)→上根市下(9:05)→善教寺上の取付(9:25)→509.3m峰の北(10:03)→565m標高点(10:16)→林道峠(11:09)→442.5m峰(11:29)→552m標高点(12:27/50)→鞍部(13:03)→竜蔵寺跡(13:12)→552m標高点(13:21)→林道(13:40)→宮の下(13:54)→阿賀城山南登山口(14:17)→国王ヶ池(14:36)→善教寺(14:43)→土井集会所(14:46)
アルバム

土井(どいのうち)集会所横の空地(7:39)

国道54号線分水嶺標識(7:46)
市裏北尾根の完結と、上根峠から竜蔵寺跡上までの分水嶺歩き。好晴ではあるが、霜が降りるほどの冷え込みで、早朝の上根峠は霧に煙っていた。毎度のことながら、駐車場所探しには苦労する。運良く土井集会所の横に空地を見つけ、犬の散歩をしているおじさんにひとこと言って、駐めさせてもらう。早速、今日の起点、龍山神社に向かう。上根は住居が散在する平坦な田園地帯で、分水界が分かりにくい。R54の分水嶺標識を起点に、側溝の水の流れから、およその見当をつけて、畦道を歩かせてもらう。そう間違ってはいまい。龍山神社にお参りし、龍山神社?の向かいにある倉庫の右側から尾根に取り付いた。
 

515m標高点(8:31)

509.3m峰 上根市表(かみねいちおもて)より(9:25)
里山の尾根には、荒れてはいるが、かすかに踏跡もあった。林道を跨いで、ヒノキの植林地をひと登りすると、見覚えのある515m標高点に出た。帰りは林道を下って、市下、市裏、市表、土井と分水界を歩いた。前回は夕暮れ時で、つい、踏跡のある西側の尾根に入ったものと思われる。509.3m峰を目指して、田園の中を直進する。市表(いちおもて)の畦道、R54の分水嶺標識、土井の畦道、県道68号線を経て、善教寺裏の墓地の横から尾根に取り付いた。少し上がると踏跡があり、やがて植林地となって林道が現れるが、509.3m峰西尾根の下で終わっている。
 

林道の峠(11:10)

賽の神(11:11)
509.3m峰の西尾根を、北の肩まで上がって、東に続く広島市と安芸高田市の境界尾根をたどる。565m標高点の先で南に転じて下り、次の小ピークの北東尾根を下って行くと、林道の峠に出た。未舗装の狭い掘割りの道で、あまり使われていないようだ。横畠側にひっそりと賽の神が祀られていた。すっかり荒れて、傾いでいるが、かつては、志路と下根を行き交う人々の守り神として、親しまれていたのであろう。
   

522m標高点(12:50)

竜蔵寺跡(13:12)
峠から東側の尾根に取り付き、ひと登りすると、三角点標柱のある442.5m峰に出た。東の尾根をたどり、10分余り先のピークで、北に転じる。尾根には切り開きがあって、とても歩きよい。45分で、西側がヒノキの植林地になっている552m標高点に着いた。昼食を済ませ、少し行くと、尾根径を行くようになり、二つ目の鞍部から南面の横手径に入ると、竜蔵寺跡があった。石灯籠などの破片が散在している、小さな平坦地であるが、かつては、坊数十二の真言宗の大寺があり、毛利氏や志道氏の祈願寺だったと云う。
   

522m標高点・竜蔵寺跡の上(13:22)

林道終点(13:41)
鞍部まで引き返し、尾根をたどって552m標高点に上がった。南側の谷の源頭に竜蔵寺跡がある。分水嶺は、ここから東に転じている。が、これ以上行くと、前回のように帰り着くのが黄昏時になりそうなので、西尾根を下った。西側の斜面一帯が植林地で、尾根沿いに径があり、林道まで降りるのはやさしい。
   

阿賀城山(14:20)

国王ヶ池(ごこうがいけ)(14:36)
林道を15分ばかり下ると、下根の宮の下に出た。簸川(ひかわ)右岸に続く市道をたどって、上根に向かう。古屋、実宗(さむね)と過ぎて、出口(いでぐち)まで来ると、阿賀城山の登山口があった。30分ぐらいで登れるらしい。中世、阿賀氏の居所だったところから阿賀城山と呼ばれ、後に毛利氏の家臣、井上氏二代(光貞、就仁)の居城になったと伝えられている。本丸跡には東屋も整備されているとか。上根の末石集会所を過ぎて、県道68号と出合った所に国王ヶ池がある。傍らの説明板に、「この池は、日本書紀(720)に記載されている、安芸国簸川源流の大蛇退治伝説の大蛇発祥の地とされている。又、芸藩通誌(1825)にも『国王ヶ池その底はかり難し、大沢にて大蛇の棲むところなりしという』とある。昔この辺り一帯は、股間まで沈む一面の深田で、牛馬による耕作は思いもよらず、田下駄を履いての手作業で収穫も少なく、勿論裏作の麦も作れなかった。云々」と記されている。うっかり通り過ぎてしまいそうな、小さな池である。



軌跡図 
                                                   所要時間:7時間15分、歩行距離:18.9㎞