甲羅ヶ谷(こうらがたに)小五郎山(こごろうやま)
 
単独 2010.09.04 
小五郎山鉱山ルートⓅ(7:35/51)→甲羅ヶ谷入渓(8:02)→F(8:05)→F(8:14)→F(8:31)→左俣分岐(9:19)→F10落口(9:36)→F11落口(9:46)→F13(9:48)→登山道(10:14/40)→坑道(10:55)→小五郎山(11:12/34)→甲羅ヶ谷右俣渡渉(11:54)→展望岩(12:09)→寺床(12:15)→大栂(12:33)→大楓(12:36)→温突跡(12:58)→第4堰堤上(13:00)→出発点(13:11)
アルバム

第1堰堤 金山谷鉱山ルート駐車場より(7:54)

第4堰堤・金山谷鉱山ルート登山口(8:00)
先週のトチゴヤ谷に続いて甲羅ヶ谷に挑戦。向峠から深谷大橋を渡り、深谷川右岸の道に入った。金山谷地区の上手で左岸に渡り、民家の前を北側に回り込むと、金山谷鉱山ルートの駐車場があった。奥に丸太をくりぬいて作ったミツバチの巣が6本も仕掛けられている。地主さんのご好意に感謝して、ミツバチの邪魔をしないように、そっと駐めなくてはならない。甲羅ヶ谷右岸につづら折れの林道が上がっている。林道は平成19年度に完成した第4堰堤の手前で終わり、登山口の標識と、次のことを記した看板が立っていた。「この登山道は、地主の山本誉さんと登山愛好家有志の熱意によって平成21年(2009)4月に完成しました。このルートには古来より銅や銀を採掘してきたと伝えられる鉱山跡があり、石見銀山と同様の手掘り坑道(間歩)が昔のまま残されています。」
 

甲羅ヶ谷F(8:05)

甲羅ヶ谷F(8:31)
登山道は第4堰堤の左を上がっている。堰堤を越えた所から甲羅ヶ谷に降りた。堰堤内はすっかり埋まっている。暗い谷に入るとすぐ、フェース状の小さな滝が現れた。水流はわずかである。暗いゴーロの谷に次々と滝が現れる。F5は15mの幅の広いフェース状の滝。三浦さんは直登しているが、支点を取る所など何処にもない。滑るので無理。右岸を巻いて落口に立つ。
 

甲羅ヶ谷左俣入口(9:19)

甲羅ヶ谷右俣入口(9:20)
F6を過ぎて急なゴーロ帯を登って行くと、右がガレ沢の二俣に出た。右俣とカン違いしてガレ沢に入り、途中で引き返す。戻って左の沢に入ると、すぐに二俣が現れた。左俣は深いゴルジュで、奥に滝らしいのがかすかに見えている。本流の右俣には、黒い階段状の滝が見える。30分のロスタイム。右俣に入る。
   

甲羅ヶ谷F8・F9(9:23)  

甲羅ヶ谷F10落口(9:36)

甲羅ヶ谷F11(9:38) 
甲羅ヶ谷の核心はF8からF11である。F8は赤っぽい階段滝で簡単に登れる。奥のF9は垂直の階段状で、10mの高さから水が滴り落ちている。確保なしには登れない。右岸を大高巻きして、F9の落口とF10の滝下は素通りした。F10の滝下に立とうと思えば、懸垂で降りるしかない。甲羅ヶ谷いちばんのF10を落口から見下ろす。高さ約25m樋状の滝である。三浦さんは、甲羅ガ滝と名付け、滝下はまるで大きな桶の底にいるような箇所と言っている。うーむ、言い得て妙だ。F10のすぐ上にも10mの階段状の滝F11が続いている。F10、F11は到底登れない。特にF10は岩登りでⅣ級程度であるが、支点はまったくない。F11から上も、F12(3mフェース)、F13(7m斜)、F14(8m小滝連)と続くが、いずれも直登できる。F14の手前で右のガレ沢に入ってしまい、引き返すのが面倒なので尾根越えをして右俣に出た。そこはF14の上で、登山道が横切っていた。そして、ガレ沢と右俣に挟まれた一帯は、金山谷鉱山の跡であった。
   

甲羅ヶ谷右俣F14の上・登山道渡渉点(10:14)

坑道(10:55)
徒渉点で靴を履き替え、鉱山跡を見学しながら登山道をたどると、道のへりに次のような説明があった。
小五郎山には、古い露天掘りやタヌキ掘りなどが見られ(谷をえぐり取られた跡やここにタヌキ掘りの跡が九つ在ったが一つ残して今はつぶれている)またこの地で鉱石を精錬した跡も見られる。古い書物や神社の起こりを示す記録、そしてこの地に伝わる物語とか古老の話から考察すると、次のとおり。最も古い時代の寺床について、古い本に「寺床山は大変高い山であるが大昔に精舎の家が在った」と記している。精舎は、仏教語であるが、元々はインドの言葉で精錬を表すことから、大昔、この山では、修験僧による鉱石採掘精錬が行われていたことを物語っている。河津の「崎所(さきのせ)神社縁起」には、「炎を巻き上げる馬(精錬所)の噂を天皇が聞き、召し出せと言っても惜しむので佐伯氏重の子供小五郎は召し取られ誅された。保元元年(1156)の出来事」とあり、平安時代の鉱山のことである。その後、この山はいつの間にか宇佐ヶ岳から小五郎山と呼ばれるようになった。大正五年(1917)17歳になった向峠の若者は、ここから採掘された小石くらいの鉱石をカマスに入れて背負い眼下の金山谷集落の大屋敷に運んだ。そこで精錬された銅は「たかね」という鋳型でインゴットにして、馬で津和野街道を廿日市まで出され、船で大阪へ運ばれた。
   

小五郎山山頂(11:12)

栂の巨樹(12:33)
渡渉点から急坂を登ること30分、見慣れた山頂に出る。少し早いが三角点標石に腰掛けて昼食にした。鉱山ルートを下山。鉱山跡、展望岩、寺床と過ぎて、45分ばかり下った所で、巨樹巡りの径が分かれている。南に約350mトラバースすると、栂と楓の巨樹が立っていた。
   

温突跡(12:58)

金山谷鉱山ルート登山口駐車場(13:11)
第4堰堤の上、F1のすぐ下にオンドル跡がある。かつて、山師たちがここで厳しい冬の生活を凌いでいたのだ。オンドル跡から2分で登山口。ゆっくり林道を下り、満ち足りて駐車場に帰り着いた。
   

甲羅ヶ谷橋(13:20)

甲羅ヶ谷分岐(13:19)
橋の欄干に甲羅ヶ谷橋と書かれた大きなボードが取り付けてある。橋を渡って左に行くと、民家の北側に登山者のために整備された駐車場がある。右は、深谷川左岸沿いの林道となって、向峠に出る。深谷川が県境で、左岸は山口県錦町、右岸は島根県吉賀町。甲羅ヶ谷橋分岐上手の棚田のコンクリート擁壁に「小五郎山登山口は右」と大きく書かれている。右岸の道路を上がると、長瀬峡を経て河津に至る。



軌跡図 
                                                   所要時間:5時間20分、歩行距離:5.9㎞