西国街道(玖波-関戸)
2021.02.07 単独 
JR玖波駅(8:06)→玖波本陣跡(8:10)→高札場跡・角屋釣井(8:12)→玖波隧道の上(馬ためし)(8:19)→順廣寺(8:29)→称名寺(8:40)→大歳神社(9:15)→城山分岐(9:33)→亀居城本丸跡(9:51)→小方橋北詰(10:20)→歴史の散歩道案内板(10:40)→旧街道取付(10:43)→苦の坂の峠(10:49)→榺池神社(11:05)→苦の坂入口(木野側)(11:07)→厳島神社(11:51)→木野川の渡し場跡(12:00/25)→両国橋西詰(12:30)→小瀬峠分岐(12:35)→小瀬峠(12:55)→関戸本陣跡(13:09)→客神社(13:12)→関戸橋BS(13:18/39)⇒JR岩国駅(13:54)

軌跡図
 所要時間:5時間12分、歩行距離:18.6㎞
 この地図は、国土地理院地形図を利用したものである。

アルバム
西国街道ウォーキング。今回は玖波宿から関戸宿まで。JR玖波駅を8時6分に出発。はじめに、時間の都合で前回見逃した玖波宿の史跡などをめぐる。とりわけ馬ためしは心残りで、玖波隧道西出口から右手の里道を上がってみる。里道は、隧道上(尾根末端)の民家で行き止まり。民家背戸のヤブは私有地、これ以上の探訪は無理。戻って、順廣寺、称名寺と、お寺めぐり。

JR玖波駅(8:03)

玖波本陣跡(8:10)

高札場跡・角屋釣井(8:12)

玖波隧道西出口(8:17)
称名寺は、窟観音や喚鐘など見どころ多く、長州の役では幕軍(彦根藩)の本陣になったと云われている。行者山を行く手に眺めて川本橋を渡り、恵川右岸の道を北進。広島岩国道路下の側道を南下。湯舟団地口の交差点を右に取り、山側の側道へ移る。200mも下れば、右手に大歳神社の参道あり。石段を上がると、赤い両部鳥居を持つ瀟洒な社があらわれる。平成元年(1988)10月、広島岩国道路建設のため、此の地に移転建立されたと石碑にある。大膳川を渡ったあと、黒川2丁目交差点を横切って東へ向かい、黒川1丁目交差点(R2)の手前の四つ角を右に取る。小方の町なみに入ってほどなく、右に城山への道が分かれる。

称名寺(8:40)

行者山 川本橋東詰より(8:47)

大歳神社(9:15)

小方の城山分岐(9:33)
この際、寄り道して亀居城跡をめぐる。慶長13年(1608)に福島正則が毛利氏の守りとして築城、3年後には破却された。本丸、二の丸、三の丸、有の丸、なしの丸、松の丸、名古屋丸、捨の丸など、その規模は10町歩におよぶ。現在、城郭公園としてして整備され、桜の名所になっている。本丸跡からの眺めは、素晴らしい。

亀居城本丸跡(9:50)

大鉢山など 亀居城天守台より(9:51)
旧街道の町なみに戻って南進、小方橋北詰交差点を横切ってすぐの新御園橋を渡り、新町川右岸の道をたどる。新御園橋北詰あたりに一里塚があったらしいが、その所在は分からない。御園台への道を捨てて、山陽自動車道沿いに直進。御園トンネル北出口を見てすぐの三叉路に、歴史の散歩道案内板あり。南の道に入ると、立入禁止のバリケードが施され、右手の石垣擁壁に単管パイプの階段が付けられている。これが苦の坂への取付のようだ。ジッグザッグに階段を上りきると旧街道に出合い、さらにひと上りで苦の坂の峠に至る。峠の手前に、逓信省が昭和初期に造った長距離電話中継所の遺構あり。孟宗竹が蔓延る一帯は、かつての古戦場。慶応2年(1866)6月14日、進軍中の幕府軍(高田藩)1000余の兵を長州軍の遊撃隊250余が急襲、高田軍たまらず、小方側へ敗退したという。

歴史の散歩道案内板(10:42)

苦の坂取付(10:43)

長距離電話中継所跡(逓信省)(10:47)

苦の坂の峠(10:49)
木野(この)側の道は、少々ガレている。10分ほど下ったところで、榺池(ちきりいけ)神社の参道が右に分かれる。平坦一直線の参道を約120m、切石積基壇の上へ南面して建つ榺池神社に出会う。御神体には、祭神の市杵島姫命が苦の坂から榺池に投げ入れた榺(千切り)が祀られているという。参道分岐iに戻って右へ20m、県道1号岩国大竹線へ合流する。木野の渡し場へ向けて南進。

榺(千切)池神社(11:05)

木野側の苦の坂入口(11:07)
県道1号線は、もはやR186の間道とはいえ、交通量は少なくない。はじめ歩道がないのでうんざりしていたら、100mばかりで杞憂に終わった。あとは、平坦なまっすぐ歩道をサッサか歩き。おかげで、「つぼかわの井戸」(太閤の振舞井戸)を素通りしてしまう。木野の町なみに入り、津屋の本陣門、中津原格子戸通り、厳島神社などをめぐって、木野川渡し場跡へ。厳島神社の境内は、素敵な展望台。旧R186を渡って、渡し場のあった河原へ降りる。上手の両国橋側に小川三角和久とまき石護岸、ひな流しデッキ跡など。対岸に店口川出合を見るあたりが、かつての渡し場。川幅12間(約22m)、浅いところで水深2尺2寸(約70㎝)あったというが、今その面影はない。芝生広場のベンチに腰掛けて、弁当を食べる。

厳島神社(11:38)

まき石護岸(12:01)

ひな流しデッキ跡(12:06)

木野川渡し場跡 右岸道より(12:34)
戻って両国橋を渡り、小瀬地区へ。店口川の出合で左岸に関戸越えの市道関戸21号線(旧県道岩国大竹線)が分かれる。角に「旧山陽道跡」と「岩国和紙の起源」の説明板、「吉田松陰の詩碑」がある。さっそく歴史の道を上がっていけば、7分先のS字カーブで、旧街道が谷の左岸に分かれ、市道を少し短縮する。さらに7分、峠の手前で右斜面に旧街道が分かれ、山襞に沿って関戸側の谷右岸へ乗り越している。この横手道の最高所を小瀬峠と呼ぶらしいが、バスの時間が気になって、ちょっこし短縮。そして、約1.2㌔の坂道を駆け下り、関戸宿跡に達す。おかげで、途中400mばかり谷側を沿う旧道を素通りしてしまう。客神社へ寄り道して、関戸の家並みと横山を眺めやる。悪くない。関戸宿跡の角へ戻って右(西)へ約160m、R2関戸交差点に出る。左に取るとすぐ岩国大竹線関々バイパスの交差点で、東側角にバス停「関戸橋」がある。JR岩国行きの便まであと22分。

小瀬峠分岐(12:35)

小瀬峠の旧街道取付(12:53)

小瀬峠の旧街道取付(関戸側)(12:57)

関戸宿跡(13:09)

客神社(13:12)

横山(岩国城跡) 客神社より(13:13)
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