西国街道(佐方一里塚-玖波本陣跡)
2021.01.12 単独 
楽々園(10:04)→廿日市本陣跡(10:23)→宮内一里塚(10:55)→畑口橋交差点(11:11)→四郎峠(11:27)→今川貞世歌碑・疣観音堂(11:40)→中山一里塚(11:46)→十郎原橋(11:52)→孝子久蔵の遺跡(12:24)→歴史の散歩道入口(12:28)→妹背の滝(12:41)→塩屋一里塚(13:15/25)→宮濱配水池(14:00)→残念社(14:19)→依田神社(14:24)→峠(14:35)→八坂神社(14:46)→鉾の峠(14:57)→馬ためし峠入口(15:02)→JR玖波駅(15:32/53)
軌跡図
所要時間5時間44分:、歩行距離:24.4㎞  
  この地図は、国土地理院地形図を利用したものである。
アルバム
西国街道ウォーキング。今回は佐方一里塚(廿日市)から玖波宿まで。天気がよいので急に思い立ち、10時過ぎに我が家を出発。なじみの佐方一里塚、街道松、招魂神社、廿日市本陣跡、宮内一里塚などをめぐりながら、旧街道を西へ。砂原大橋を渡り、御手洗川(みたらいがわ)右岸の道を右(西)へたどる。ほんとの旧街道は、市道131国広線を南に取って県道(30号廿日市佐伯線)へ出たあと、佐伯方面へ向かっている。が、これが左右の里道に分かれるため、喧騒の主要地方道を4回も横断しなくてはならない。佐原田権現社を素通りしてしまったけれど、桜並木が続くウォーターフロント道のほうが、よっぽどまし。畑口橋交差点を横切り、市道112宮内更地線へ入る。右の道路端に夜泣き石あり。県道30号線ほどではないが、けっこうな交通量。四郎峠まで約1.3㌔、歩道がないので、少々煩わしい。

佐方一里塚(10:15)

招魂神社(10:21)

宮内一里塚(10:55)

四郎峠(11:27)
峠の右手(東側)に小さな境石を見て約1㌔、今川貞世歌碑と疣観音に出会う。歌碑には、「とにかくに しらぬ命を おもうかな わが身いそじに おおの中山」と「むかしたれ かげにもせんと まくしいの おおの中山 かくしげるらん」の2首が刻まれている。傍の説明書きに、足利義満によって九州探題に任ぜられた今川貞世がその下る途中大野を通過したときのことを紀行文「道ゆきぶり」しるしている、とある。ここで戸石川橋を渡って中山鯛ノ原線へ入る。約400m、安芸野球村塾への道が左へ分かれる角に中山一里塚あり。さらに500m先の分岐で、旧街道は右の高見2号線へ分かれる。であるが、そのまま中山鯛ノ原線へ迷走、十郎原橋を渡ってしまう。結果、三槍社(みやりしゃ)、新宮神社、高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)などをめぐることなく、高畑の歴史の散歩道入口で旧街道に再会、というありさま。おかげで、高畑貝塚跡や孝子久蔵(こうしきゅうぞう)の遺跡などに出会えたけれど…。

今川貞世歌碑・疣観音(11:40)

十郎原橋(11:53)

孝子久蔵の遺跡(12:24)

歴史の散歩道入口(12:28)
新幹線高架下の道(深江林ヶ原線)を西進。中津岡大橋を渡ると左手に西教寺の甍が見えて、ほどなく県道289号栗谷大野線に合流。右に取って、大頭神社と妹背の滝をめぐる。

大頭神社(12:38)

妹背の滝(12:42)
県道をR2方面へたどり、滝の下交差点を右折、郷原ノ前線に入る。大野西小学校前交差点で山の手に矢印のある道標に出会う。どうやら旧街道は、新幹線高架下の道から大野西小の西側を通るルートのようだ。ほどなくJR大野浦駅、ロータリーで塩屋一里塚と今川貞世歌碑に出会う。「おおのうら これかととえば やまなしの かたえのもみじ 色に出でつつ」の歌が刻まれている。この歌が駅名の由緒らしい。とても心地の良い日より、園地の石積に腰かけてサンドイッチ弁当を食べる。

道標(13:07)

塩屋一里塚・今川貞世歌碑(13:15)
駅前の市道を原ノ前林ヶ原線、上桐林ヶ原線、林ヶ原鳴川線と選んでを南西にたどること約1.5㌔、右の谷へ古道が分かれる。どうやら、清水峯を乗り越している林ヶ原鳴川線を横手に短縮している里道が、旧街道だったようだ。もう、間違ってばかりだが、たどりなおす気にはなれない。改めて再訪することにしよう。古道に入るとすぐ、石畳の道があらわれる。古いものではなく、古道整備にあたって復元されたもののようだ。ほどなく今川貞世歌碑に出会う。「波の上 藻塩焼くかと 見えつるは あまの小舟に 焚く火なりけり」の歌が刻まれている。宮浜配水池前の道を西進。広島岩国道路高架の下で丸石川を渡り、南側の道を選ぶ。高架下あたりを山伏坂と呼ぶらしい。180mばかり先で、残念社への古道が山手(右)に分かれる。

古代山陽道の史跡入口(13:52)

石畳モニュメント(13:55)

今川貞世歌碑・宮浜配水池(13:59)

山伏坂(14:02)
広島岩国道路の高架を潜って西へ約450m、残念社に出会う。右手に大きな砂防ダム堰堤を見て八坂川の谷を渡ると、右手に朱の鹿島鳥居を構えた小ぎれいな祠があらわれる。ちなみに、御神体は供養塚、祠は昭和46年(1971)11月19日建立、鳥居は昭和47年(1972)6月9日建立、である。お参りして横手道を南にたどると、ほどなく「三県一望の地」と記された展望三叉路になる。右手の残念尾根の道に吉田松陰腰掛けの岩あり。目の前に宮島の岩船岳、残念ながら周防大島や愛媛県までは見渡せない。でも、休憩ベンチが設えられて、ひと休みするには良いところ。尾根道を60mほど上がったところに、依田神社がある。大野瀬戸と宮島が一望できる、素敵な展望地だ。

残念社(14:19)

八坂峠(14:22)

依田神社(14:24)

大野瀬戸・宮島 依田神社より(14:25)
三叉路へ戻って左(南西)に取ると、八坂墓苑に出合って、市道へ合流する。広島岩国道路の山側の道をたどって、八坂団地北西の峠を越える。道なりに高架を潜り、市道林ヶ原鳴川線へ合流、南下。山陽本線踏切手前の三叉路を右に取って約50m、右に八坂神社への小路が分かれる。ちょっと寄り道して、お祇園さんと荒神様へお参りする。推古天皇の時代(592-628)、太郎、次郎、三郎、四郎、十郎の5人兄弟が大野村に降り、それぞれ鳴川、土井、原、中山、鯛の原の地を開拓したと伝えられている。で、四郎峠、十郎原の地名が残り、この荒神様には、鳴川を開いた太郎が祀られていると云う。また八坂神社は、説明板に明治22年(1889)3月16日に京都八坂神社から分霊建立されたとある。

八坂団地北西の峠(14:35)

八坂神社(14:46)
市道に戻って西進、鳴川を渡る。小浦台団地へ上がる道を右に分けて直進すると、民家の庭先で古道がはじまる。落葉の敷き詰められた石畳の道をたどって尾根肩に上がる。横手に約200m、次の尾根肩鞍部で右の谷へ下る。この鞍部に「鉾の峠」の標識が立っている。山陽本線のトンネル出口を経て里道に合流、道なりに行くと、次の尾根末端で「馬ためし」の標識に出会い、小道が右(北西)に分かれる。入ってすぐ、孟宗竹が蔓延って、古道は所在不明に。

鳴川の石畳(14:53)

鉾の峠(14:57)

馬ためし入口(15:02)

孟宗竹やぶになった馬ためし道(15:09)
馬ためし峠は、尾根末端を横手に巻き越していると思われるが、微かな踏跡をたどって西へ乗り越す。山陽本線トンネル出口上に出たあと、線路際斜面をヤブ漕ぎで順広寺北側の里道に出る。とんだ遠回りしたもので、ここは素直に玖波隧道から玖波宿へ入らないといけない。そうすれば、容易に高札場跡や玖波本陣跡などにめぐり会えたものを…。玖波宿の史跡めぐりは次回に持ち越して、JR玖波駅ホームへ上がる。

迷走した馬ためしからの下山地点(15:25)

JR玖波駅(15:32)
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