石見銀山街道(赤名(あかな)-三次(みよし))
 
単独 2017.09.30 
備北交通三次BC(6:28)→JR三次駅(7:02)⇒赤名(8:00/03)→赤穴瀬戸山城跡分岐(8:15)→野見野(8:38)→女神神社(8:59)→赤名峠(9:28)→熊地蔵&番所跡(9:40)→室宿(11:01)→土橋(11:28)→仏ヶ峠(11:58)→中村橋東詰(12:31)→布野小跡(12:55)→真光寺(13:38)→神之瀬古道分岐(13:51)→神之瀬橋西詰(14:04)→山家の一里塚(14:29)→宮の峡(県39)(15:07)→三勝寺(15:24)→巴橋西詰(15:39)→水道橋南詰(15:47)→備北交通三次BC(16:02)

軌跡図
                                                所要時間:7時間59分、歩行距離:37.1㎞
 この地図は、国土地理院発行の地形図を使用したものである。

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銀の道「赤名-三次」ウォーキング。備北交通三次バスセンター(BC)の駐車場に車を駐めて、JR三次駅前から起点の赤名まで、備北交通路線バスで移動する。赤名BS8時03分、三次へ向けて出発。道の駅「赤来高原」の北側から下市大橋を渡って、赤名宿の街路へ。まっすぐな道に人影はまばらで、朝日射す静かな通りを、往時を偲びながら歩く。R54に合流するや、行楽地へ向かうハイスピードの乗用車に、ちょっとげんなり。野見野(のみの)で真木方面に向かう里道に入る。70m先の三叉路を右に取り、少し行くと、右手民家の背戸に祠があって、横に銀山街道の石柱が立っている。祠の前から細い里道が南に向かい、元の里道に合流している。まさしく、趣ある銀の道古道で、そーっとたどらせてもらう。里道は、上赤名会館の南でR54と交差して国道下を並行する。やがて北野下研修センターと女神(めがめ)神社に出会う。

赤名BS(8:03)

赤名宿の街路(8:10)

野見野の古道(8:38)

北野の女神神社(8:58)
さらに380mばかり行ったところで、左手に「北野の古道」と記された石柱が立ち、左斜めに草生した径が上がっている。たどると、ほどなく国道に合流し、約450m先の赤名トンネル北出口手前から、左に山道が分かれている。

北野の古道取付(9:07)

赤名トンネル北出口の古道取付(9:18)
入ると、5分で旧国道に合流。その先に国境の石柱が立つ赤名峠があった。石柱は三本あり、平成27年の国盗り綱引き大会で決した国境石柱を真ん中に、広島県側と島根県側に年代ものの石柱が競うように立っている。広島県側の表には「従是南廣嶋領」、島根県側の表には「赤名峠」と記されている。説明板によると、広島県側の石柱は、天保3年(1832)に藩名が変更(藝州→廣嶋)になったため、立て替えられたもので、初代は横谷の八幡神社境内に保存されているという。ちなみに、初代石柱は享保5年(1720)に立てられたものらしい。それにしても、島根県側石柱の側面には、「従是 備後國 藝州領、従是 出雲國 廣瀬領」と刻まれている。うーむ、説明板に島根県側石柱の謂れがなく、どうにも要領を得ない。広島県側へ180mばかり下ったところで、左に古道が分かれている。

赤名峠(9:27)

室宿への古道取付(9:32)
取付は草生しているが、すぐきれいな山道となり、万右衛門坂がはじまる。説明板に、天保3年(1832)7月14日の朝、石州の肴売り「万右衛門」が同業の磯五郎に金目当てで殺された場所云々、とある。ほどなく休耕田地になって開け、熊地蔵、番所(ばんどころ)跡、一里塚といった史跡がひとところに固まっている。説明板を読みながら、往時に思いを馳せる。間もなく里道に合流し、左に少し行くと、銀山街道は左の林業作業道に分かれる。作業道に入って280mばかりのところから、右に古道が分かれ、室のR54高田酒店の前に降りている。が、この分岐に立つ案内標識の矢印が判りにくく、作業道をそのままたどってしまい、中郷川左岸の尾根を1時間近く迷走する。おかげで、女亀山の南面のようすを目の当たりにできたのだが…。

万右衛門坂(9:36)

熊地蔵&番所跡(9:42)

女亀山 室宿北東の556.7mP尾根より(9:55)

室宿への古道取付(10:48)
室地区にかつての街並みはない。銀の道は、県道437号大津横谷線に入ってすぐ、左の里道に入り、R54へ合流する手前で民家の庭先を通って、中郷川右岸径へと繋がっていく。洗濯物の下を掻い潜ったり、枝葉旺盛な倒木を乗り越えたり、なかなか変化に富んだ道行き。ほどなく田圃径は山道になって、中郷川右岸尾根へと上がっていく。尾根には林道があり、途中「土橋」の説明板を見るが、どこだかよく分からない。このあたりにも、やなしお道のような遺構があるということか。やがて右谷の里道に降りて、瀬戸地区から西に分かれる谷沿いの道に入る。桧高牧場へ上がる農道で、途中に「ついもん祠(梅雨左衛門)」あり。

室宿の旧出雲街道分岐(県437)(11:02)

庭先へ続く古道分岐(11:07)

土橋南の稜線林道(11:30)

ついもん祠(11:43)
ついもんさんから15分で仏が峠に達す。右手に牧草地が広がり、左道端の傾いた祠の中に三体の石仏、その右隣の草叢の中に馬頭観音二体が祀られている。かつてここは道の要所で、地蔵堂と大仙社の祠が建っていたという。左に草生した作業林道が分かれ、谷沿いに下っていくと、やがて明瞭な林道になって中村に出た。中村橋を渡ってR54を南下。上布野からは、旧出雲街道標識に導かれ、田圃径を経て布野の街路(江戸の道)に入る。人どおりはなく、まことに静か。やがて仁井殿(にいどの)の布野中学校前に出る。顧みれば、青空を背に深緑の布野冠山塊が連なり、その麓で赤い甍が彩を添えている。毛利尼子古戦場跡の先から旧出雲街道が左に分かれる。

仏ヶ峠の地蔵堂(11:58)

作木分かれ(12:32)

布野小学校跡(12:55)

毛利尼子古戦場跡(13:09)
雑木・スギ木立の中に未舗装の道が続く。賽ノ神を過ぎると、皆伐地になって開け、下布野の田園集落を眺めることができる。さらに450mばかりで真光寺に出会い、県道62号庄原作木線に合流する。真光寺は中村憲吉の菩提寺だそうで、境内に「山越えて雨に来れる 檀那でら昔の塀の 百日紅(びゃくじっこう)のはな」と刻まれた歌碑がある。県道を横切って里道を下る。戸河内川に架かる橋本橋を渡って東に向かうこと10分、左手の小路分岐に、旧出雲街道の標識を見る。

真光寺(13:36)

神之瀬古道分岐(13:51) 
入ると、神之瀬川(かんのせがわ)の右岸に沿っており、ほどなく廃吊り橋に出会う。神之瀬の家並みをバックにした眺めは、なかなか風情がある。吊り橋西詰の先に、河原の開けたところがあり、ボートが道のへりに上げられている。このあたりが「神之瀬の渡し」なのだろうか。古道は、卸子(おろしご)の里道に合流して、卸子橋を渡って神之瀬原に上がっていくようだ。あまり楽しそうにはない。この際、もとの里道から神之瀬原へ上がる、楽ちんコースにする。神之瀬橋を渡って10分、左手に稲荷神社 (毛利尼子の稲荷塚古戦場跡)を拝す。ひと上りで神之瀬原の丘陵地に上がり、山家(やまが)一里塚に出会う。塚上には、蟹足の松と呼ばれて親しまれていたという、枯根が残されている。これより、長―い下りが続く。

廃吊り橋(13:52)

神之瀬の渡し(廃吊り橋の上流)(13:53)

稲荷神社(14:13)

山家一里塚(14:29)
大坪谷、三反田とめぐって、県道39号三次高野線に合流する。左に取り、西城川右岸を南下。このあたりが「宮の峡」と呼ばれる、かつての難所である。古道は、県道へ合流する手前で左手の支尾根に取り付いて、比熊山北尾根の中腹を横手に南下していたらしい。今は、西城川を足下に楽ちん歩道をたどればよい。大歳神社の前で県道を捨てて、三次町の街路に入る。

宮の峡(県39)(15:11)

大歳神社(15:19) 
石畳の道が整備されており、大歳通り、本通り、中通りをたどって、巴橋西詰に出る。途中、大歳町の袖壁、三勝寺前の鍵曲り、白蘭酒造、稲荷社、三次劇場跡などをめぐりながらの、楽しい歴みち歩き。

三勝寺(15:24)

稲荷社(15:34)
巴橋を渡る。足下を、馬洗川に西城川が合わさった流れが、滔々と下っている。巴橋東詰を左に取り、土手道を行く。左手に広がる景色の素敵なこと。大河の流れと、比熊山、水道橋、鵜飼乗船場など。のどかな眺めに見飽きることがない。親水公園の入口で、南に転じて街路に入る。ほどなく起点の備北交通BCに到着。40㌔に満たない距離に8時間を要す。楽しかったけど、けっこう疲れた

巴橋西詰(15:39)

比熊山 馬洗川左岸管理道より(15:45)
   

水道橋 馬洗川左岸管理道より(15:45) 

備北交通三次BC(終点)(16:01)