石見原山(いわみはらやま)
 
単独 2015.09.27 
峠の原(8:07/17)→猪避けゲート(9:29)→防災無線中継局(9:32)→DTV中継放送所(9:47/54)→原山取付(9:59)→東尾根分岐→原山(10:11)→南尾根肩(10:17)→東尾根分岐(10:25)→DTV中継放送所(10:40)→北尾根の巨岩懸崖(10:54/07)→林道原山線(11:29)→山姥洞窟取付(11:34)→巨岩帯(11:53)→山姥洞窟取付(12:10)→猪避けゲート(12:26)→防火水槽(12:28/56)→小掛谷集会所(13:30)→智河原山南面作業道終点(13:24)→起点(13:42)
アルバム

峠の原(8:17)

林道入口の猪避けゲート(9:29)

林道原山線の分岐(8:40)

林道小掛谷原山線起点(8:43)

整備地(8:58)

邑南町防災行政無線原山中継局(9:30)

石見DTV中継放送所(9:49) 

原山取付(9:59)
石見(邑南町)の里山めぐりということで、原山を訪れた。峠の原(たおのはら)三叉路の駐車空間に車を駐める。南に里道を380m計り辿ると、防火水槽のある五叉路に出る。行く手に霞んだ原山が立ち上がっている。顧みれば、真っ青な秋空に智河原山(ちごうらやま)がたおやかな稜線を引いている。うーん、のどか。南の道を上って行くと程なく、猪避けゲートのある林道になる。舗装された道がスギ林の中に続き、10分足らずで林道原山線に合流する。右に取るとすぐ、小掛谷(こかけだに)原山線が左に分かれる。この道を15分計り上がったところで舗装は終わり、尾根の肩が整備地になって金網フェンスで囲われていた。地形図によれば、かつてここには電波塔があったようだ。道は5分計り先で分岐する。右の道を15分、再び分岐して、左の道は邑南町防災行政無線原山中継局に行き当たった。右の道は、夏草が茂ってくるが、踏跡は明瞭。やがて原山の北峰を北に巻いて、石見DTV中継放送所に至る。ここから先に林道はない。北方が開けているが、樹木が育って展望はない。中継放送所の階段を上がらせてもらって、電波塔越しに京太郎山(きょうたろうやま)や萩原山(はぎわらやま)を眺める。来た道を戻り、原山北峰に取り付く。ササに覆われているが、踏跡は明瞭。
   

原山山頂(10:13)

原山北尾根の巨岩懸崖(10:55)

林道原山線(11:29)

山姥洞窟への取付(11:34)

山姥洞窟探勝ルートの巨岩帯(11:53)

智河原山 防火水槽北の里道より(12:28)

峠の原六地蔵(13:03)

石見原山 智河原山南面より(13:27)
北峰に円形の窪みがあった。戦時中の飛行機監視所の遺構に違いない。原山山頂は灌木に囲まれ、ササに埋もれた三角点がひっそり立っていた。南西の尾根に微かな踏跡があるので、少し辿ってみる。松尾峠へのヤブ漕ぎを考えてみたが、時間がかかりそうなので止めにする。DTV中継放送所に戻って、北尾根を下る。微かな踏跡があり、100mも行かぬうちに北西の尾根に続いた。ここから東に分かれる尾根には踏跡らしいものはない。この際、踏跡を辿るが、すぐに分からなくなって巨岩の懸崖に行く手を阻まれる。やむなく左の谷に下ったものの、滝のかかるゴルジュ谷で、向かいの尾根に這い上がる。そこには踏跡があり、10分で原山林道に出た。うーむ、里山を侮ってはいけない。もはやヤブを歩く元気はなく、林道を辿る。少し行ったところに山姥洞窟の案内板が立っており、寄ってみる。簡単と思っていたが、なかなか着けず、挙句は巨岩帯に行き当たって道を失い、引き返す有様。里山をなめてはいけない。帰宅してネットで調べてみると、道は巨岩帯の少し手前で東側の尾根に渡っており、山姥洞窟はその尾根の右谷にあるようだ。つまり、そこは先刻難儀したゴルジュ谷の源頭なのである。そして、道は上に続いて、程なくDTV中継放送所に飛び出すらしい。ヘロヘロになって林道に戻り、起点に還った。時間が早いので、智河原山に向かう。ふもとから見る限り、簡単そうだ。峠の原から小掛谷集会所のある広場に上がると、六地蔵が祀られていた。きっと由緒のあるものに違いない。広場の東側に作業道が上がっており、これを辿る。はじめはしっかりしているが、だんだん茂ってきて、最後はほとんどヤブ状態。取り付いて20分足らずで作業道は終わった。標高はまだ470m、山頂までの道のりは半ばだ。伐採後のヤブは半端でなく、またしても敗退。原山の北面写真を唯一の収穫にして、起点に還る。



軌跡図
                                                   所要時間:5時間25分、歩行距離:11.2㎞ 
 この地図は、国土地理院発行の地形図を使用したものである。