柏原山(かしわらやま)雲月山(うつつきやま)
 
単独 2010.04.10 
土橋バス停(7:57/8:00)→ノートルダム清心学園ユリア館(8:14)→上奥原(8:23)→サルクイ峠(8:52)→オオギ原(8:58)→林道水越亀山線の峠(9:06)→馬の原登山口(9:23)→柏原山(9:56)→雨池(10:14)→ハザゴエ(11:16)→ヒキジ峠(11:49)→昼食(12:36/56)→小坂峠(13:20)→雲月山(14:18)→遠見所山(14:35)→雲月峠(14:42)→土橋バス停(15:08)
アルバム

土橋(つちはし)のバス停(8:03)

ユリア館(8:14)
今回は、柏原山から雲月山まで県境尾根を歩いた。夜半まで降っていた雨も上がり、風はあるが青空も覗いて、心地の良い山行になりそうだ。出発点は土橋のバス停。芸北消防団屯所横に車を置いて、柏原山の馬の原登山口に向かうが、持参した2万5千分の1図に奥原、苅屋形地区が載っていない。地元の人に道を尋ねるが、あまり要領を得ない。ままよと県道114号線をたどる。バス停から奥原方面に10分ばかり下ると、右手にノートルダム清心学園芸北教育場ユリア館がある。1986年落成の白亜の洋風建物で、中学校の林間学校などに利用されているらしい。人里離れた田園の中に、掃き清められたような静かな佇まいである。開校時には、きっと生徒たちの花やいだ歓声や美しい歌声が聴こえてくるのであろう。
 

町道上奥原線分岐(8:23)

サルクイ峠(8:53)
ユリア館からさらに10分、右に町道上奥原線が分かれており、これを行く。道沿いの民家に「荒神原」に至るかと聴けば、先で町道は終わり、未舗装の林道になるが、大佐山方面には繋がっているとのこと。最奥の民家の先で未舗装となるが、立派な林道が続いており、分岐から30分でサルクイ峠に着いた。「〈サルクイ峠〉は苅屋形の呼称である。ムナクトオク周辺の山々をサルクイ山と呼んでいるので〈サルクイへ向って越す峠〉の意である。逆に上奥原の村人は〈柏原峠〉と呼ぶ。西中国山地(桑原良敏)
 

林道水越亀山線の峠(9:06)

馬の原登山口(9:23)
サルクイ峠を下って行くと、オオギ原と呼ばれる茅戸の原に出て、左から苅屋形からの立派な舗装林道が合流している。これが林道水越亀山線で、少し行った所が峠となって、亀山に下っている。峠からの林道は、 841mの独標峯を左に大きく回り込んで下り、馬の原川右岸沿いに続いている。15分で柏原山の登山口に着いた。
   

雨量測候所の残骸(9:59)

柏原山北稜から望む遠見所山(10:09)
登山口から柏原山の頂上まで約1.7㎞、約30分の道程。かつて山頂の東側に中国電力の無人雨量測量所が設置されていた。今でも土塁の脇にその残骸が積まれ、往時を偲ばせている。雲月山へは雨量測量所のあった所から取り付く。潅木の茂るヤブ尾根であるが、ハザ越までは土塁が作ってあるので、これに沿えば迷うことはない。土塁に上ると、これから向かう雲月山塊が望まれた。
   

雨池(10:14)

960m峰山頂(10:20)
柏原山の北稜を降ること15分、鞍部に出た。左手に水の涸れた池がある。「アシ谷の水源に〈雨池〉という小さな池があり、長田の村人が集って雨乞いをしていた場所だという。西中国山地(桑原良敏)」「雨池のある鞍部を上り返した所が〈ダアダラの頭・960m峰〉である。土塁はここから東に転じてハザ越に下っている。〈ダアダラ〉の意は不明という村人が多いが、〈大太郎〉と書くと教えてくれた老人があった。西中国山地(桑原良敏)
   

ハザ越(10:56)

939m峰山頂(11:33)
ハザ越のあたりは、トリスギ谷(広島県側)とホン谷(島根県側)がそれぞれ二分し突き合わさった所で、分水嶺がとても分かりにくい。笹が茂って地形が読めず、少々迷走した。ハザ越の東にも、上奥原川の水源とホン谷が突き合わさったハザゴエ(波佐越)と呼ばれる鞍部がある。ここから県境尾根は、北西に転じて939m峰へ上がったあと東に向きを変え、蛇行しながら北上する。
   

小坂峠
(しょうざかだお)(13:21) 

鉄穴流し集水路の遺構(13:55)
939m峰からヒジキ峠、886m峰、コグレ峠、792m峰と上り下りを繰り返し、ようやく小坂峠に着く。林道があり、土橋のウシロ谷と三栄のオトシ谷を結んでいるらしいが、ずいぶんと笹に覆われている。ヤブ尾根に取り付いて北上すると、掘割が現れた。鉄穴流し集水路の遺構である。「溝は雲月山の中腹を東より時計回りに鉢巻状に巡らして、島根県の落谷の水も集め、落谷水源で鉄穴流しを行ったものである。西中国山地(桑原良敏)」
   

雲月山南東陵から見た遠見所山(14:02) 

雲月峠にあるヒノキの町章(14:37)
集水溝を跨いで、岩屑が露になった痩せ尾根を登っていくと、間もなく雲月山遊歩道に出た。そこには、なだらかな放牧地を隔てて、全山草原の遠見所山が広がっていた。この山名の由来は、かつて広島藩の遠見所が置かれていたことによる。遠見所山から雲月峠を見下ろすと、ヒノキで形作られたマークが目に付く。芸北町の「北」文字を図案化したもので、円形となっているのは、旧四ヶ村(雄鹿原、中野、美和、八幡)の融和と将来の躍進・発展を象徴している。
雲月山(ウツツキヤマ ウズキヤマ)
雲月山は『陰徳太平記』にあるごとく、当時は〈ウツツキ山〉と呼んでいたと思われるが、『芸藩通志』には〈ウズキ山〉とルビが振ってある。北麓の島根県金待谷では〈スヅツキ〉と教えられた。渡辺光編『日本地名大辞典2』の雲月山を引くと、「従来の呼名は〈うつつき山〉で近年〈うづき山〉が一般化していたが、ほかにも〈うづつき〉〈うつづき山〉〈うんげつ〉など多様な呼名がある。この呼称の統一について、地元の広島県山県郡芸北町と島根県那賀郡金城 村およびこの山に近接する同郡旭町とで協議の結果、昭和三十八年六月以降〈うんげつさん〉と呼称することに決定した。」とある。それにしても〈ウズキ〉という古風で優雅な名が、時代の流れとはいえ即物的な〈ウンゲツ〉という読み方に変えられていくのは寂しい限りである。「西中国山地(桑原良敏)」より
 



軌跡図 
                                                   所要時間:7時間09分、歩行距離:18.5㎞