雲月山(うつつきやま)
 
単独 2009.10.11 
土橋バス停(8:27/39)→ハルニレの樹(8:49)→夢樹木園(9:10)→簡易水道施設(9:15)→848m峰(10:14)→八ッ木峠(10:41)→ブナの大樹(11:24)→雨山(822m峰)(11:55)→ベンチ(12:07)→千人立峠(12:20)→千人立(877m峰)(12:34)→雲月峠(12:45)→遠見所山(13:00/30)→高山(13:48)→大休ミ(13:57)→雲月山(14:28)→中の谷分岐(14:35)→出発点(14:55) 
アルバム

土橋(つちはし)バス停前の広場 向いは頌徳碑公園(8:39)

道益・松益の頌徳碑(7:28)
頌徳碑由緒
昔この地に住んでいた邑医者道益は少年期に広島町で医学を修め帰郷して施療所を開いた。医術の評判もよく遠近を問わず多くの人々が訪れたという。その子松益も医学を学び父とともに医療に励んだ。父子ともに人情に篤く貧困者等には診療や薬代を無料にするなど、仁愛の気風に富み人々から大いに慕われた。たまたま天明年間(1781-1789)は稲の不作が続き餓死者が出るなどであった。道益父子は住民の窮状を救うため、私費を投じて米を買い入れ、困った人に低利や無利息で貸出し、金銭も貸出した。天明3(1783)年は特に大飢饉となり、住民は深刻な生活不安に陥った。道益はこれまで貸付けていた多くの貸付証文を全て借主に返して債権を放棄するなど難民救助に尽くし、里人に和合と助け合いを呼びかけ難局打破への結束を図った。この気風は近郷諸村にも及び、治世安定にも大きく効があったという。寛政5(1793)年この親子の功労に対し浅野藩主より褒賞が贈られた。後世に至り土橋地区では道益・松益父子の高徳を讃え、その篤行を永く伝えようと碑を建てて頌徳碑
(しょうとくひ)と呼んだ。なお、真向かいの山麓にある道益・松益の墓碑に向き合わせてこの碑が建てられている。その墓地の近くにある薬師堂と町指定天然記念物「楡」の老木は往古を偲ぶ縁である。 現地説明板より

Mさんの別荘(8:40)

楡の老木(8:51)
頌徳碑の向かいの山裾に、一軒の山小屋が建っている。Mさんが自然愛好の仲間と共有しているもので、以前ここで盛大なバーベキューパーティーをやったことがある。Mさんの別荘の東にハルニレの巨樹(胸幹周囲4.26m町指定の天然記念物)が立っている。樹下の祠のまわりは、刈り払われてよく手入れがされている。

土橋地区簡易水道施設(9:18)

ススキに蔽われた林道(9:29)
別荘前から東に20分ばかり行くと、谷沿いに林道が分かれており、入るとすぐに水道施設があった。手前を左に折れて八ッ木峠へ向えば良いものを、間違って真っ直ぐ行ってしまった。水道施設を過ぎると間もなく、林道は茅の繁茂する踏跡に変貌する。レインウエアのパンツをはくが、身の丈を越すところもあり、露が少ないのが何よりである。

使用後間もない沼田場(ヌタバ)(9:45)

稜線の立木に付けられたテープ(11:28)
猪はダニ等の寄生虫を落としたり体温調節をするために、よく泥浴を行う。横になり転がりながら全身に泥を塗る様子から、悶え苦しむという意味の沼田うち回る(のたうちまわる)という言葉が生まれた。林道は上部で谷を跨いで大平山の西斜面に続いている。稜線に上がると、ところどころにテープがあり、笹に蔽われた踏跡が微かに続いていた。茂った稜線を西に辿ること40分、大きな鞍部に降りた。そこが八ッ木峠。ずいぶん遠回りをしたものである。八ッ木峠を上がったところで熊に遭遇。にわかに5m先のクリの木から熊が飛び降りたのだ。笹が茂ってよく見えないが、逃げずに留まっている様子。一瞬引き返そうかとも考えたが、笛を吹いて熊さんに遠ざかってもらう。しばらく、ピーピーとうるさい山行になった。熊さんゴメンナサイ。

ブナの巨木(11:24)

雨山(あめやま)の山頂(12:33)
雨山(882m)の手前、854m峰の直下にブナの巨木が立っていた。八ッ木峠から1時間余りで境界石柱のある雨山に着いた。土塁が西の稜線に続いている。北の稜線を辿ると、林道に出て、鉄穴(かんな)跡からアシハラ峠に至るらしい。西の稜線を下った。

雨山西稜線で見かけたベンチ(12:07) 

雲月峠(12:45)
雨山から土塁の上をしばらく行くと、ベンチがあり木の階段路が現れた。かつてこの山域には、自然探勝の遊歩道が整備されていたようだ。今はすっかり笹に蔽われて、踏跡を探すのに苦労する。千人立峠から千人立の稜線は、一面笹の原で、踏跡も途切れ途切れになっている。千人立からはブナ林の西斜面を下り、雲月峠に降り立っ。やれやれである。 

檜を植えて作られた芸北町の町章(13:02)

雲月山 遠見所山より(13:34) 
やっと藪コギから解放され、心地の良い草原のハイキング。遠見所山の展望所で辿り越し稜線を眺めながら、少々遅いが至福のお昼にする。天気に恵まれ、たくさんの草花に出合えて、最高の草原歩きである。藪山歩きより、こっちのほうが断然良い。

高山山頂(13:48)

雲月山東面に放牧された牛たち(13:50)
高山に上り返すと、遠見所山で追い越していった親子連れがお弁当を広げていた。お父さん曰く、「よく食ったぁ~」。そして、東面を見下ろせば、牛たちが小高い丘に集まって心地よさそうに反芻していた。朝から美味しい草を食べて腹いっぱいになったのだろう。

雲月山北稜で出会ったニョロくん(14:03) 

雲月山山頂(14:08)
秋晴れのポカポカ天気で、ニョロくんも道端に出て日向ぼっこ。ここ数年、マムシを見かけることが少なくなった。今年はまだ2度目である。「雲月山は「陰徳太平記」にあるごとく、当時はウツツキ山と呼んでいたと思われるが、「芸藩通誌」には、“ウズキ山”とルビが振ってある。北麓の島根県金待谷では“ウヅツキ”山と教えられた。西中国山地(桑原良敏)

雲月山南陵からの眺め(14:13) 

仲の谷分岐にある雲月山牧場の入口(14:35)

頌徳碑前に建つ薬師堂or阿弥陀堂?(14:57) 
仲の谷には、鉄穴流し(かんなながし)の跡が見られる。その端末あたりが林道の終点で、柵が設けられている。ここから牛を放牧しているようだ。柵門の右手から駐車場に径が上がっている。滝山川沿いの林道を辿ると、程なく県道に出た。ポレポレと起点に還る。頌徳碑の前に立派なお堂が建っているが、楡の古木のところに薬師堂が見当たらないので、近年、この場所に移設されたのかもしれない
出会った草花   
ノコンギク キク科 マユミ ニシキギ゙科 ウメモドキ モチノキ科
ヤマシロギク キク科 ミオミナエ オミナエシ科 サワヒヨドリ キク科
ミヤマヨメナ キク科 ミヤマシキミ ミカン科 ヤマラッキョウ ユリ科
ホクチアザミ キク科 ツリガネニンジン キキョウ科 ワレモコウ バラ科
ウメバチソウ ユキノシタ科 カワラナデシコ ナデシコ科 リンドウ リンドウ科
アキノキリンソウ キク科 マツムシソウ マツムシソウ科 アキチヨウジ シソ科
オタカラコウ キク科 サラシナショウマ キンポウゲ科  ヨツバヒヨドリ キク科



軌跡図 
                                                   所要時間:6時間20分、歩行距離:11.3㎞