堂床山(どうとこやま)可部冠山(かべかんむりやま)
 
9人 2010.12.12 
龍頭ヶ原園地(8:30/40)→加賀津の滝(8:51)→八合目(9:55)→堂床山(10:16)→西冠山分岐(11:43)→可部冠山(11:59/12:49)→可部峠(12:54)→長助茶屋跡(13:00)→可部峠(13:11)→しるべ石(13:32)→第二野営場(13:50)→龍頭ヶ原園地(14:18)
アルバム

龍頭ヶ原園の地駐車場(8:40)

加賀津の滝(8:51)
南原峡龍頭ヶ原園地を起点に、堂床山、可部冠山、可部峠と巡る、低山歩き。冬型の気圧配置も緩み、申し分のない山行日和だ。恒例の記念撮影を済ませ、園地西奥に続く林道をたどる。ゲートを入って間もなくのところに、河東碧梧桐の句碑が立っていた。達筆で、上五にあたる「南原峡」しか判らない。左岸沿いの道は、10分ばかりで磧に降りて終わる。飛び石伝いに右岸に渡渉すると、上流に加賀津の滝が懸かっている。約30mの三段の斜滝である。右岸の階段を上ったところに、堂床山と冠山の分岐がある。冠山に至る谷沿いの径を約300mたどれば、石采(いしうね)の滝(15m)があるが、今回は割愛した。
 

堂床山東尾根の急登(9:01)

堂床山八合目付近(9:53)
手摺のある急な階段を上りきると、尾根径と横手道に分かれる。堂床山への径は、急な岩尾根の方であるが、横手道からも合流できるらしい。谷底からいきなり始まった急な階段と岩稜の径を、黙々と登る中高年。心臓バクバクの人もいたが、まずは順調な滑り出しである。岩稜は10分余りで終わり、明るい闊葉樹の中を急登すると、分岐から55分で八合目に着いた。途中で小休止を一度入れたが、みんな余裕の表情である。
 

堂床山山頂(10:18)

堂床山北尾根の急坂(10:38)
八合目から北にトラバースして堂床山の北東尾根に上がり、落ち葉が敷き詰められた広い径をたどること17分、山頂に出た。一等三角点の標柱(859.6m)が、潅木に囲まれて立っている。北尾根をたどり、冠山に向かう。ブナ林の中の急な下りは、積もった落葉で滑ること滑ること。みんなおっかなびっくりで鞍部に降りた。途中、樹間越しに明神ダムの碧い湖面が見える。この眺めに、興ざめする人もいるので難しい。
   

西冠山分岐(11:43)

可部冠山山頂(11:59)
鞍部からは、歩き良い遊歩道となる。685m標高点、682m標高点を経て、1時間で西冠山の分岐に着いた。右(南原峡方面)に少し行くと山頂があるが、展望はない。途中、明神峠分岐で一息入れている折、Yさん一行と行き違った。西冠山(721m標高点)分岐を東にたどり、15分で可部冠山の山頂(三等三角点735.7m)に立つ。大岩の上から四周が見渡せる、展望の山である。海見山、大掛山、小掛山、備前坊山、白木山、堂床山と山座同定を済ませ、思い思いの場所に陣取り、お弁当を広げた。
   

可部峠(かべだお)13:11)

長助茶屋の跡(13:00)
山頂から北側に続く急坂を下って、可部峠に降りた。どこにでもありそうな峠越えの山径が、かつての石州街道なのである。可部宿と本地宿がこの峠で結ばれ、一里塚が整備されていた。浜田藩の殿さんが参勤交代で休憩したという、千代田側の長助茶屋跡に寄り道をした。明治17年(八代目富太郎)、明神峠越えの県道(R261)が開通。狭くて急峻な可部峠越えは次第に衰退し、九代目の春三が大正14年2月に閉じている。史跡として整備された石畳や石積みは、すっかり草に覆われ、説明板は大きく傾いで、倒壊寸前の有様。
   

しるべ石(13:32)

冠山登山口・第二駐車場(13:49)
可部峠から冠山の南東面を南に下り、南原峡源流部へ続く林道に降りると、しるべ石が立っていた。そう古いものではない。ヒノキ林の中を15分ばかり行くと、第二野営場に出た。キャンプサイトとトイレがあるだけで、炊事棟などの施設はない。明神ダムに上がる道を捨て、舗装道路を下って行くと、20分で第一野営場(こちらには炊事棟も休憩処も整備されている)、5分で龍頭ヶ原園地に還った。



軌跡図 
                                                   所要時間:5時間37分、歩行距離:10.7㎞